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妖怪小説家・田辺青蛙の「妖しき本棚」第5回

げに美しき血と汚物と拷問の世界に溺れる『ダイナー』

dinner.jpg『ダイナー』(著:平山夢明/ポプラ社)

「日本ホラー大賞短編賞」受賞の小説家・田辺青蛙によるオススメブックレビュー。

 先日、家からチャリで20分程のモス・バーガーに向けて僕は急いでいた。夜の11時過ぎのことだ、閉店は午前0時、間に合うかどうかの瀬戸際だった。明日にすればいいという選択肢はなかった、とにかく「ハンバーガー」と名のつくものを口にしなければ眠れそうになかったからだ。

 今回ご紹介する『ダイナー』は刺激的なスパイスも何もかも、他所では真似出来ない平山夢明テイストの作品。

 最初のページを開けた瞬間から拷問シーンのスタートとなる。蓋を捻切るような道具で、女の爪を割りながらはがされるわ、容赦無く殴られるし、蹴られるわで胃の辺りがズンっと重たくなるような描写が続く。

 主人公は手取り12万円の給料で、事務用品問屋に勤めているオオバカナコ。30万円の現金を手にする為、軽い気持ちで裏サイトにあった連絡先に電話したことから彼女の人生は大きく変わってしまう。そして最初の拷問シーンへと繋がり、彼女は自分が入る予定の穴まで掘らされ、絶体絶命まで追いつめられる。だが、とっさの機転で彼女は売られることになり、閉鎖的な殺し屋専門の会員制・定食屋(ダイナー)で、ウェイトレスをすることになるのだが……。

 ダイナーの店主は天才的な料理人のボンベロ。癖のある殺し屋連中をあしらいながら、文章の間から香ばしい湯気が感じられるような料理を本の中で作り上げていく。相棒は、人の頭をゴキュゴキュ噛み砕けるほどの力を持つ犬の菊千代。肉、血の匂い、焼けあがるパン、白いクリーム、完璧なスフレ、究極の六倍ハンバーガー。

 最初は美味そうな料理と、次々と現れる殺し屋との応酬で話は進んでいくのだが、中盤から流れが変わり始める。客の殺人鬼に翻弄されつつ、極限の状態で成長していくカナコと、言葉にさえ出されない恋愛のエッセンスが物語に加わってくるのだ。

 カナコはしょっちゅう殴られているし、泥まみれになり青あざをこさえ血や汚物に濡れるシーンもある。作中のカナコに関して、美女を思わせる描写は全くといっていいほど無い。だが、何故かほどほどにタフで美しい鋼でつくられた花のような女性を想像してしまう。イカレた連中の中でも自分を見失わず、前向きな彼女の存在と恋。カナコは日本人だけれど、僕は読んでいて『羊たちの沈黙』のクラリス・スターリングを連想してしまった。

 鉄格子の中と外から指先が触れ合うだけの、レクターとクラリスの交流もあれば、血みどろのキッチンで命の駆け引きをする愛情があってもいいではないか。自分が埋まる予定の穴を掘っていても、絶望はせずここから抜け出る方法を全力で考えるカナコ。欲望や誘惑に弱い等身大のところも持っていながら、彼女は誰よりも魅力的に感じる。どんな状況に落ちても彼女は自分の腕で這い上がろうとする。

 序盤のグロシーンで敬遠する読者も多いかもしれないが、自分に迷いのある時や負の感情が膨れ上がった時に手にとってもらいたい。この本には答えは載っていない、ただ自分を信じて進むべきヒントが書かれているような気がする。極上の残酷なエンタテイメント小説でありながら自分の背中を押してくれる。とにかく不思議な一冊なんで、値段はちょっと高めだけれど手にとって損はないと思う。山田風太郎ファンは読んでちょっとにやりとするシーンがあるので、そういうのが好きな人にもお勧めだ。

 ところで天才的な料理人であり、殺人鬼たちをあしらう店主のボンベロだけれど、僕の中では彼がどうしても平山夢明さんと被ってしまう。平山さんという人の魅力を書き連ねていくと、終りが無くなってしまうので、印象的なエピソードを一つだけご紹介するに留めておこう。

 数年前、僕がまだ作家を目指していた時の話だ。居酒屋で同じ作家を目指している人たちと一緒に平山さんとお話しする機会があった。その時に、平山さんが「積み上げて腰の高さくらいになるまで、とりあえず書いてみることだ」というお話をしてくれた。ちょうど僕は新人賞に応募し続けるも一次すら通過することが出来ず、憂鬱な気分が続いていた時だったが、平山さんの言葉を聞いて愚痴は甘えだと染みるほど実感させられてしまった。複数の連載を持ち、ラジオのパーソナリティーも務め、映画の撮影も行い、イベントも行っている平山さん。どの仕事も全くの妥協が無く、物凄く面白い。平山さんは実は量産型で何人もいるんじゃないかと疑ってしまいたくなるくらいだ。

 平山さんの言葉を受けて、僕は公募ガイドを買いに行き、とりあえず目についた賞に順番に応募していって、運良く1年後プロになることが出来た。だが、今年でデビュー3年目になるけれど、まだ出せた単著は2冊……高さにして2~3センチほどで、腰の高さには程遠い。僕が料理人とすれば、やっとピーラーで皮むきが出来るようになったレベルだろうか。

 僕はこの先もカナコやボンベロに憧れつつ、ふと迷った時は『ダイナー』を手に取ることになるだろう。最初は血なまぐさいぐちゃぐちゃの食前酒に顔をしかめながら、読み進めることになるが、読み終えた後は、強い酒を飲んだ後に冷たい水が喉を伝っていくような清涼感を味わえるからだ。

 最後にこの本を読むとむしょうにハンバーガーが食べたくなることを保証する。
(文=田辺青蛙)

tanabe_prof.jpgたなべ・せいあ
「小説すばる」(集英社)「幽」(メディアファクトリー)、WEBマガジン『ポプラビーチ』などで妖怪や怪談に関する記事を担当。2008年、『生き屏風』(角川書店 )で第15回日本ホラー小説大賞を受賞。綾波レイのコスプレで授賞式に挑む。著書の『生き屏風』、共著に『てのひら怪談』(ポプラ社)シリーズ。2冊目の書き下ろしホラー小説、『魂追い』(角川書店)も好評発売中。

ダイナー

ジューシーなホラーです。

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「妖しき本棚」INDEX
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【第3回】なつかしく、おそろしく、死と欲望の詰まった”岡山”を読む『魔羅節』
【第2回】“大熊、人を喰ふ”史上最悪の熊害を描き出すドキュメンタリー『羆嵐』
【第1回】3本指、片輪車……封印された甘美なる”タブー”の世界『封印漫画大全』

最終更新:2010/02/08 11:15
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