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唯一の被爆国・日本が選んだ原発大国への知られざる道程【前編】

ビデオジャーナリストと社会学者が紡ぐ、ネットの新境地

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今月のゲスト
武田 徹[ジャーナリスト]

──東日本大震災による福島原発問題は、多くの課題と問題を日本に突きつけている。マル激では多角的に福島原発問題をあつかってきたが、そもそも日本が世界屈指の原子力大国への道を突き進んだ背景には、どのような理由があったのだろうか? 唯一の被爆国だからこそ知る”原子力の巨大な力”に引きつけられた歴史を、『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』の著者であるジャーナリストの武田徹氏と共に追う──。

神保 今回も原発関連のテーマでお送りします。福島第一原発の事故をめぐっては、原子力の是非だけではなく、日本の民主主義はどうなっているのか、メディアのチェック機能は機能しているのか、そして我々は今、歴史上どの地点に立っているのか……など、これまで水面下でくすぶっていた多くの問題を、マル激では浮き彫りにしてきました。

宮台 福島第一原発の事故を契機に起こっている議論は、技術的合理性に関するものが大半です。でも僕は「原発を可能にする社会」に問題があったのではないかと主張しています。つまり、原発事故の原因を、日本社会の各所を覆う〈悪い共同体〉と、それに結びついた〈悪い心の習慣〉に引きつけて考えるべきだと考えたい。

 そうしたやり方とは別に、歴史に力点を置いて議論する方法もあります。社会的な物事には、過去にたまたまある方向に踏み出してしまうと、簡単に引き返せずに積み重ねが生じ、ますます引き返せなくなる構造があります。とりわけ技術の社会的利用には、そうした側面が大きい。そしてしばしば技術の採用に伴って構造的に抱え込んでしまう負の領域があります。そこに原発がハマって引き返せなくなったという面も、〈悪い共同体〉問題とは別にあり得ます。

 僕は「今更やめられない」というキーワードを使います。〈悪い共同体〉ゆえの「今更やめられない」もあれば、歴史的な不可逆性ゆえの「今更やめられない」もあります。どちらも克服すべきですが、克服するにも「やめられなさ」に向かい合う必要があります。だから、原発の出発点で、僕らがどんな楽観論を持ち、どんな技術信仰に基づいてステアリングを切ったのかを考えることが重要です。そこをクリアにせず、後知恵的に原発政策を難詰しても、学びが得られません。

神保 次の一歩を踏み出すためには、歴史的な文脈をしっかりと見ておく必要があります。今回のゲストは、マル激の司会者としてもお馴染みのジャーナリスト、武田徹さんです。5月10日、武田さんの著作『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』(中公新書ラクレ)が発売されました。原子力関連の書籍の多くは、武田さんがカタカナで書く、”スイシン”と”ハンタイ”の文脈に落とし込まれていて、逆意見の人にとっては読む価値がないものになりがち。しかし、この本は極めて冷静な視点で書かれており、立場を問わず考えさせられる部分が大きいと思います。今回は、この本に沿った形で議論を進めていきましょう。

 さて、日本は被爆国として、核の怖さを本当の意味で知っている唯一の国です。それにもかかわらず、被爆10年後の1955年には原子力基本法ができ、原子力開発を進めることを決定。これは、日本がなぜ原発を推進したのかを考えるとき、最初に浮かぶ不合理な点だと思います。「被爆をした」という事実と、日本が「原子力大国」を目指したという2つの相反するかに見える事実。このアンビバレントな関係を、武田さんはどのように整理していますか?

武田 光と影の関係だと思います。日本は過去に被爆し、その力に圧倒された経験がある。だからこそ、その力に期待する。原子力待望論が強かったのは、被爆した経験の裏返しでしょう。例えば、原子力委員会の初代委員長、正力松太郎の背後にいたとされる、柴田秀利(連合軍総司令部担当記者、日本テレビの設立などにかかわる)は、「毒をもって毒を制する」という言葉を使いました。また日本には、エネルギー不足を危惧して太平洋戦争に踏み込んだ歴史があり、「今度こそ石油や石炭ではないエネルギーに期待をした」という事情もあったのかもしれません。

宮台 45年の敗戦も46年の新憲法公布も、一部の国民や政治家には「去勢体験」だと感じられました。原子力基本法成立の3年前、52年にサンフランシスコ講和条約が結ばれました。全面講和ではなく単独講和で、調印翌日に吉田茂がダレス国務長官にいわば羽交い締めにされて安保条約に調印させられた。これも「去勢体験」でした。

 柴田の「毒」を「パワー」と読み換えると、日本が45年から52年までに経験した幾度もの「去勢体験」を埋め合わせるために、核の「パワー」を希求したように思います。原子力基本法の55年は、55年体制が成立する年。翌年には「もはや戦後ではない」という言葉(旧経済企画庁が発行した経済白書『日本経済の成長と近代化』の結び)が有名になる。その意味で、新しい市民社会への踏み出しに際し、「去勢」された日本人が必要とした「パワー」のシンボルが、たとえ平和利用だろうが核だったのだと感じます。

最終更新:2011/06/28 10:30
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