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『希望 僕が被災地で考えたこと』刊行ロングインタビュー

「この身体が、被災者のためになるなら」乙武洋匡 自分の感情よりも、美学よりも【2】

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【1】はこちらから

──ご自身の震災体験についても伺います。本の中では「おそらく人生ではじめて、自分自身の障害を眼前につきつけられ、その境遇に胸が詰まるような数日間を過ごしていた」と書かれています。

乙武 僕は震災が発生したときバンドのメンバーと一緒に雑居ビルの5階にいたんですけれど、エレベーターが止まって、この100kgある電動車椅子を友人たちが一生懸命運んでくれることで、ようやくビルから脱出することができた。でも今度は自宅のエレベーターも止まっているということで、一日半帰れなかった。もし停電になれば車椅子は充電することができないし、大きな揺れが東京を襲ったとき、僕は2人の息子を抱えて逃げることもできない。ましてや、自分の身を守ることもできないということを考えれば、妻にも大きな負担になってしまうんだろうな、とか、いろんなことを考えましたね。


──「物理的に逃げられない、死ぬ」という恐怖と、「家族を守れない」というジレンマのようなもの。

乙武 僕自身のことだけ考えると、何かをしてもらわなければ生活が成り立たないというのは、今回の震災でより痛切に感じたものの、正直これは今に始まったことじゃないんですよね。誰かがトイレに連れて行ってくれなければ用も足せないし、風呂にも入れない。そういう意味では、誰かが抱えてくれなければ逃げられないんだというのは、生死に直結するレベルが違うだけで、根本的には変わらないんです。ところがやっぱり、2人の息子に対して、守るべきものを守れないというしんどさはありますよね。ああ、手足がないってしんどいな、というのは、それまで一度も思ったことがなかったんですけど……。自分のことができないのは誰かにしてもらうことで精神のバランスが図れるけど、自分がしてあげたいと思う相手にそれができない辛さというのは、どうやっても埋められない。その思いが、今回の震災でより浮き彫りになったということでしょうね。

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──今回の被災地訪問では「被災地障がい者支援センターふくしま」にも行かれていますが、こうした災害で一時的に福祉のシステムがダウンしてしまうと、一般の方が周囲の障害者を介助することになります。それは私たち健常者もしなければならないことだし、反射的に動くと思うのですが、助けたくてもどう接したらいいか分からないという思いが、健常者側にすごくあると思うんです。触れる怖さ、壊してしまうのではないか、という不安のようなもの。そうした際に、普段からできる心構えというのはあるのでしょうか。

乙武 それはもう、とにかく「慣れ」がすべてだと思うんですね。例えばそこにうちのスタッフがいますけれど、彼は特に福祉の勉強をしてきたわけでもないし、ヘルパーの資格があるわけでもない。もっと言えば、心構えが素晴らしいわけでもないんですが、僕を介助することにかけては、世界中に70億人の人間がいる中で一番しっくりくる人間なわけです。そんな彼だって最初に僕と出会ってトイレをお願いしたときには「どうやったらいいんですか?」と、おっかなびっくりだったわけですから、本当にただただ、慣れるということなんです。普段から介助に慣れるというのは難しいと思いますが、ただしゃべる、ただ見掛けるっていうだけで全然違うと思うんです。

 よくね、障害者に対する差別や偏見をなくしましょうって言いますけど、正直、僕は35年間生きてきて、差別や偏見を感じたことは一度もないんですよ。例えば子どもたちが街中で僕とすれちがったときに「なんだあれ?」とか「気持ち悪い」って言うんですね。じゃあ子どもたちは僕を差別しているから「気持ち悪い」って言うのかというと、それは違う。見たことのない、得体の知れない物体を見たから「気持ち悪い」という言葉が出てくるんだと思うんです。それは、慣れていないというだけなんです。そういった意味で考えれば、日常生活の中に障害のある人と接する機会がある人と、まったくない人では、震災が起こって何かお手伝いをするというときに、やっぱり心の壁や戸惑いは全然違うと思うんですよ。普段から触れ合える環境というのが大事なのかな、と思っています。

──「障害のある人への慣れ」という面では、メディアの中での障害者の扱い方というのも、考えなければいけないことですよね。乙武さんのメッセージというのは、ビジュアルも含めて「手足のない人間がこういうことを言うんだ、これをやるんだ」というところに強度があると思うんですが、乙武さんは今のテレビで、ほとんど唯一、違和感なく受け入れられている身体障害者だと思うんです。この状況って、ご自身はどんな理由があると思われますか。やはり、イケメンでしゃべりがハキハキしているからなのでしょうか……。

乙武 あはは。よく、身障者初のお笑い芸人という名目でお笑いをやってらっしゃるホーキング青山さんが「乙武、おまえはイケメンだからチヤホヤされるんだよ」って言い方をしてくださるんですけど、ホーキングさんも(師匠である)ビートたけしさんにすごく可愛がられて、テレビにお出になってるし、最近では脳性マヒブラザーズっていうお笑いコンビもいますよね。彼らなんか、一人はしゃべれますけど、もう一人はよく聞いていないと聞き取りが難しいっていう、それを逆に面白さにしてどんどんネタを作って、認知度が高まりつつある。そういった、いわゆる「感動を求める場面」だけでなく「みんなが普通によく見る」という存在になったらいいな、と思うんです。

 日本のテレビに障害のある人が出るときって、やっぱり感動のドキュメンタリーで出てくるという、それしかなかったんですよね。『24時間テレビ』(日本テレビ系)がその最たる例だと思うんですけど、障害者には当然、そうじゃない部分というのもあるわけです。例えばアメリカの映画などでは、エキストラで町を歩いている人の中に、普通に車椅子の人がいても自然なんですよね。ところがたぶん、日本のドラマで車椅子の人が映り込んだらカットがかかるでしょう。そこに意味が出てきちゃうから。

 僕が今回、被災地に行ったり始球式をやらせていただいたりというのは、ある意味で『24時間テレビ』的なことなのかもしれない。だけど、そこを変えていけたら、という思いはやっぱりあるんですよ。

──つまり、今回の震災に際して「いまできること」を考える中で、乙武さんは障害者である自分の身体を人前にさらしてメッセージを伝えることに答えを見出したわけですよね。

乙武 はい。

――でもそれはメッセージを受け取る側が乙武さんの障害を特別視しているからこそ伝わるメッセージなわけで、最終的にはそのメッセージが伝わらない社会の方が理想だという。

乙武 そうですね、はい。

──それこそ「あいつがボールひとつ投げたくらいで何を騒いでいるんだ」という社会。

乙武 おっしゃるとおりです。だから僕が『24時間テレビ』的な障害者の扱い方というのを自分自身が否定し続けてきたにもかかわらず、今回その封印を解く形になったのは、やっぱり優先したいのは自分の感情や価値観じゃなくて被災者の方々だった、ということなんでしょうね。
【3】につづく/取材・文=編集部/写真=岡崎隆生)

●おとたけ・ひろただ
1976年、東京都生まれ。早稲田大学在学中に出版した『五体不満足』(講談社)が多くの人々の共感を呼ぶ。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、05年4月より、東京都新宿区教育委員会の非常勤職員「子どもの生き方パートナー」。07年4月~10年3月、杉並区立杉並第四小学校教諭として教壇にも立った。おもな著書に『だいじょうぶ3組』、『オトタケ先生の3つの授業』(共に講談社)など。
Twitterアカウント:@h_ototake

希望 僕が被災地で考えたこと

いまできること。

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オトタケ先生の3つの授業

こういう先生に教わりたかった。

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最終更新:2013/09/12 10:59
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