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町山智浩の「映画がわかる アメリカがわかる」

ひとりを殺すための犠牲 失われたアメリカの正義

【サイゾーpremium】より

雲に隠れた岩山のように、正面からでは見えてこない。でも映画のスクリーンを通してズイズイッと見えてくる、超大国の真の姿をお届け。

『ゼロ・ダーク・サーティ』
CIAの女性分析官・マヤを主人公に、国際的テロ組織の指導者オサマ・ビン・ラディンの捕獲・暗殺作戦を遂行するCIAの姿を描く。自爆テロなどを受けながら、CIAはついにビン・ラディンの居場所を突き止めるのだった。

監督/キャスリン・ビグロー 脚本/マーク・ボール 出演/ジェシカ・チャステイン、ジェイソン・クラークほか 日本では2月15日より全国ロードショー予定。

 2011年5月2日深夜、パキスタンのアボッターバードに、米国海軍特殊部隊を載せたヘリコプターが突如飛来した。01年9月11日の同時多発テロ首謀者とされるオサマ・ビン・ラディンを急襲するためだ。作戦決行時刻は軍事用語でゼロ・ダーク・サーティ(午前0時半)。それが本作のタイトルになった。

 監督は、米軍の爆発物処理班を描いた『ハート・ロッカー』(08年)で10年度アカデミー監督賞などを受賞したキャスリン・ビグロー。『ハート・ロッカー』の脚本家マーク・ボールと再び組んで、CIAによるビン・ラディン探索と襲撃を、事件からわずか一年半で映画化した。

『ゼロ・ダーク・サーティ』の主人公はCIAの女性エージェント、マヤ。彼女は、ビン・ラディンの居場所を突きとめた実在の女性CIA局員をモデルにしている。官僚主義や女性蔑視と戦いながら宿敵を追い続けるマヤの姿には、男中心のハリウッドで、リアルで硬派な男性アクション映画だけを撮り続けるビグロー自身が重なってくる。

 そしてクライマックス。観客はビン・ラディン襲撃を体験する。同居している妻子を傷つけずに、ビン・ラディンだけを仕留めなければ。さらに、パキスタン政府に気づかれる前に脱出するタイムリミットが迫る。まさにホワイトナックル(握りしめた拳の関節が白くなる)緊迫感で批評家から絶賛され、ビグローとボールは『ハート・ロッカー』に続き、本作でアカデミー賞に輝くだろう……と言われていた。

 それに水を差したのは、配給会社宛にジョン・マケイン(共和党)、ダイアン・ファインスタイン、カール・レヴィン(共に民主党)が連名で出した抗議文だ。『ゼロ・ダーク・サーティ』は事実を歪曲してCIAによる拷問を正当化しているという。

 どの部分が問題なのか。『ゼロ・ダーク・サーティ』は04年、CIA局員ダンがアマールというアルカイダのテロリストを拷問するシーンから始まる。アメリカの法律は拷問を禁じているため、シリアやエジプトなど親米独裁政権の国の秘密基地で行われた。このやり方は当時のブッシュ大統領の承認を得ている。

 ダンはアマールを水責めにする。顔にタオルをかけ、水を注ぐ。これはゴダールの映画『気狂いピエロ』にも登場する拷問だ。死ぬことはないが、死に近い恐怖を与えられる。こうした拷問を見たマヤは最初、嘔吐するが、だんだん自ら拷問を指揮するようになる。

 CIAが欲しいのは、ビン・ラディンのクーリエ(連絡係)の名前。拷問の果てに、アマールは、連絡係の名前を漏らす。

 しかし、実際は、CIAが連絡係の名を聞き出す際、水責めを使わなかったという(09年のオバマ政権以降、拷問は使われていない)。「『ゼロ・ダーク・サーティ』は、拷問が有効だという間違ったメッセージを観客に伝える」とマケインらは批判する。拷問された者は、苦痛から逃れようと、尋問者が求める答えをでっち上げる。イラクが9・11テロの黒幕という誤情報も拷問で得られたものだった。その結果、間違ったイラク攻撃で10万人以上が死んだ。

 マケイン自身、ベトナム戦争時に捕虜となり、約6年間も拷問された。だからブッシュ政権がテロリストを拷問した時も「アメリカの正義がなくなる」と激しく反対した。

 ただ、連絡係の名の入手に拷問を使わなかったという事実は、『ゼロ・ダーク・サーティ』撮影後に初めて判明した。また、この映画から観客が感じるのは、拷問するCIAへの賛辞ではなく、凄まじい脱力感である。世界一の大国が国を挙げて、たったひとりの男を10年も追い回し、卑怯で不法な暗殺によってやっと仕留めたものの、それまでに何十万もの命が無駄に失われ、暴力に暴力で対抗する間にアメリカは正義も威信も失った。その損失は、ビン・ラディンひとりを殺したところで何も戻ってこない。

 すべてが終わった後、主人公マヤは「これからどこに行く?」と尋ねられて何も答えられない。筆者はサム・ペキンパー監督の『わらの犬』を思い出した。平和主義者の数学者(ダスティン・ホフマン)がアメリカの暴力を嫌って、スコットランドの田舎に引っ越す。しかし、田舎の素朴な人々は都会以上に暴力的で、ホフマンに襲いかかる。彼はあらゆる手段を使って反撃し、敵を皆殺しにするが、彼の手は血に塗れた。「帰り道はわかるか?」と尋ねられたホフマンはつぶやく。「わからない」と。

まちやま・ともひろ
サンフランシスコ郊外在住。『〈映画の見方〉がわかる本』(洋泉社)など著書多数。TOKYO MXテレビ(金曜日23時半~)にて、『松嶋 ×町山 未公開映画を観るTV』が放送中。

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最終更新:2013/02/12 13:14
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