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さようなら大瀧詠一さん 日本のポップ史を変えた偉大な功績を振り返る

【リアルサウンドより】

 大瀧詠一が12月30日、解離性動脈りゅうのため急逝し、各界に衝撃が走っている。MSN産経ニュースなどが報じ、その後NHKニュースなどで死因が判明した。はっぴぃえんどの元メンバー・細野晴臣や、大瀧に才能を見出された佐野元春、サンボマスターの山口隆などが追悼の意を告げている。

 大瀧詠一は1970年、はっぴぃえんどのボーカル・ギターとしてデビュー。1971年にはソロ活動も開始し、1972年にアルバム『大瀧詠一』を発表している。1973年には自身のレーベル「ナイアガラ」を立ち上げ、山下達郎や大貫妙子が所属していたバンド、シュガー・ベイブのプロデュースなども行った。

 1981年にははっぴぃえんど時代の盟友、松本隆と組んだソロアルバム『A LONG VACATION』がミリオンセラーを記録し、大きな商業的な成功を収めた。音楽ジャーナリストの宇野維正氏は、当時の大瀧詠一の印象について、次のように語る。

「大瀧さんはリスナーの世代によって捉え方が異なってくるミュージシャンだと思います。きっと30代以下の世代にとっては伝説のミュージシャンというイメージだと思いますが、自分のような40代前半の世代はギリギリ、『A LONG VACATION』と『EACH TIME』の両名作をリアルタイムで聴くことができた最後の幸福な世代です。『A LONG VACATION』リリース当時、自分は小学生でしたが、ちょっとませた小学生の自分にも届くくらい、このアルバムは一大ムーブメントを築いた作品でした。永井博によるジャケットのアートワークは、まさに80年代前半のお洒落なカルチャーを象徴するものでしたね。あれだけの商業的な成功と、音楽としてのクオリティと、今で言うところのチャラいお兄ちゃんやお姉ちゃんも聴いているような風俗性をすべて合わせ持っていた作品は、ちょっと他には思い浮かびません。大瀧さんはその3 年後にリリースした『EACH TIME』以降、結局30年オリジナルアルバムを出さなかったことになりますが、それにもかかわらず、いまだに日本のポップミュージック界において後輩の山下達郎と双璧を成す存在として位置づけられていることからも、その偉大さがわかるのではないでしょうか」

 大瀧詠一が日本の音楽界に残した功績は、今も息づいているという。

「大瀧さんは、たとえば今年の紅白に出演していた森進一、松田聖子、小泉今日子、薬師丸ひろ子にもとびきりの楽曲を提供しています。寡作な方だったので作品の数は多くありませんが、そのどれもが日本のポップミュージック史に残る名曲です。また、ファースト・アルバムの『大瀧詠一』は、はっぴぃえんどの傑作群と同格か、場合によってはそれ以上の影響を、後のロックバンドに与えた作品と言っていいと思います。自分は先に述べたように『A LONG VACATION』で大瀧さんの音楽と出会って、彼がナイアガラ・サウンドを確立して以降のイメージを強く持っていたので、その数年後に後追いで『大瀧詠一』を初めて聴いた時は、その音楽性の幅広さとある種のクールさに驚いたものです。その作品で大瀧さんは、フォーク、ロックからソウルミュージックまで、ありとあらゆるアメリカの音楽を消化して完全に自分だけの表現にしていました。渋谷系と呼ばれたミュージシャンたち、そして、その後のサニーデイ・サービス(曽我部恵一)、くるり、踊ってばかりの国、森は生きているといった現在活躍しているミュージシャンも、大瀧さんからの影響を強く受けていると思います」

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