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アスリート列伝 第8回

「あと3年……」フィギュア高橋大輔が走り続けてきた、ソチ五輪までの長いマラソン

daisuket0223.jpg『それでも前を向くために be SOUL 2』(祥伝社)

アスリートの自伝・評伝から読み解く、本物の男の生き方――。

「あと3年」

 2011年のモスクワ世界選手権終了後、男子フィギュアスケーターの髙橋大輔はそう心に決めた。

 8位に終わった06年トリノ五輪から成長を遂げた高橋は、右膝のケガを乗り越え、10年のバンクーバー五輪で日本男子シングルとして初となる銅メダルを獲得。一躍、日本のトップフィギュアスケーターとしてその名を轟かせた。だが、その直後となる10-11年シーズン、思わぬスランプが彼を襲った。

「その後(バンクーバー後)の1年は、『オリンピックメダリストとして勝たなければ』という強迫観念と、『キレイな引き際にしたい』という欲と、『バンクーバーオリンピックでやめておけばよかったのかも…』という迷いがあった」(『それでも前を向くために be SOUL 2』祥伝社)

 戦績を見れば、3回の優勝を飾った10-11年シーズンも決して悪くないものだった。しかし、自身としては、納得がいく演技ができなかったのだろう。モスクワ世界選手権を5位で終えた時、高橋は「あと3年」という目標を自らに打ち立て、現役続行の道を選んだ。

 11年春にボルト除去手術をして1カ月間スケート靴が履けないブランクを過ごしたが、「3年」という目標を立てた彼は、その期間をすがすがしい思いで過ごした。3年間におよぶ長い「調整期間」、ひとつひとつの試合を「自分を試す場」に設定し、苦手意識のあったバレエにも挑戦。華やかなジャンプだけでなく、スケートのそもそもの滑り方までも抜本的に見直した。結果を急がず、ゆっくりと時間をかけることによって徐々に気持ちは変わっていく。「迷いと濁りが消えて、すっきりと素直にスケートに向けるようになった」。すると、高橋はあることに気づいた。

「やっとスケートが生きがいになった」

 12年からは、手術をした膝の痛みが再発する。課題としている4回転ジャンプも、パーフェクトに決めることができない。また、高橋らが男子フィギュアを牽引したことによって、羽生結弦をはじめとする若手のレベルは格段に上がっており、心には不安や焦りの気持ちも湧いてくる。だが、目標は3年後だ。まるでマラソンを走るかのように、遠いゴールに向かって一歩ずつ歩みを進めていった。11-12シーズンはすべての試合で3位以内につけ、続く12-13シーズンも極度の不調に陥った2試合以外はすべて優勝か準優勝という試合を続けていったのだ。

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