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30歳で本格デビュー、浜端ヨウヘイが音楽を通して目指すことは?「みんなで歌っている瞬間が好き」

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【リアルサウンドより】

 山崎まさよしやスキマスイッチ、秦基博、さかいゆうなど、優れたアーティストを数多く輩出してきたオフィスオーガスタが、新レーベル『Augument Records』を設立。その第一弾アーティストとして、京都出身のシンガーソングライター・浜端ヨウヘイがシングル『結-yui-』で11月5日にデビューする。同レーベルにとって5年ぶりの新人アーティストとなる浜端は、2013年10月より『山崎まさよしLIVE”SEED FOLKS”』のオープニングアクトとして全国を帯同し、そのパフォーマンスが評判に。2014年2月にオフィスオーガスタ所属となり、今回のデビューへと繋がった。今回リアルサウンドでは、浜端へインタビューを実施。身長192センチの体躯を活かしたダイナミックな歌声と、温かい人間味を感じさせる歌詞の世界はどのようにして生まれたのか。彼の音楽原体験から、師と仰ぐ山崎まさよしとの交流、さらにはシンガーとして目指すあり方についてまで語ってもらった。

「山さんには背中で全て教えてもらった」

――「Augument Records」からのデビュー・シングル『結-yui-』が完成しました。浜端さんの特徴である芯の太いボーカル力がとてもよく表れた作品だと思いますが、まずはデビューに至った今の気持ちは?

浜端ヨウヘイ(以下 浜端):今まで自主制作などでリリースしたことは何度もありますが、こういう形で世に出せるということは、非常に感慨深いですね。僕は山さん(山崎まさよし)のギターをコピーすることからギターを始めた人間なので、そういう意味でもオーガスタに所属してデビューできるのは感慨深いですし、1年間の前座を経てCDを出せる、という意味においても達成感があります。もちろん、こんなところで達成感を感じている場合ではないので(笑)。ここから始まるんだな、という気持ちを忘れないようにやっていきたいですね。

――そもそも音楽をやり始めたのは何歳くらいのときですか。

浜端:何段階かありますけど、3歳からピアノを習い、10歳くらいでギターを弾き始めました。小学校の5~6年生頃って、男の子がピアノをやっていることが恥ずかしい時期で、親父のギターを発見してしまって「こっちの方がかっこいい」とギターに傾倒していき、18歳まではピアノを習いながらギターも弾いていたんです。そのときに山さんのコピーをしていたんですが、大学に入ったのをきっかけに柔道にのめり込み、柔道を辞めるタイミングでまたギターを持って、高知県の大学(高知大学)を出たあとに沖縄に移住しました。沖縄では歌を作ったり、いろいろな人と出会ったりするなかでたくさんの曲ができ、音楽を職業にして生きていけたら、という思いが大きくなっていきました。

――沖縄へはどういう理由で移住したのでしょうか。

浜端:その土地が好きで、ゲストハウスで働きながら滞在していました。月給4万円でしたけど、何となく沖縄が好きで暮らしていたのですが、その頃にマネージメント業に携わっている方たちが遊びに来て、「関西で何かやろう」という話になったんです。そのオファーをきっかけに、23歳の頃京都に帰り、初めて本格的にスタジオに入って、CDを1枚作り、本格的に音楽生活が始まりました(笑)。当時は、「暮らしをきちんとしないと何もできない」と考え、いったん就職をしたんです。当時は平日に仕事を頑張って、土日にライブをするという形で音楽活動をしていました。会社から給料を頂いていたので、最初は音楽でお金を稼げるほどではなかったですが、働いている分、制作にお金を掛けることもできました。

――後半になってくるとライブ活動も軌道に乗ってきましたか。

浜端:はい。音楽の方でも収入が得られるようになってきたので、仕事で得た収入はできるだけ音楽活動には使わず、音楽収入だけで活動が成り立つようにしたいと思いました。

――そこから音楽一本になったきっかけは?

浜端:音楽だけで食べていく生活を「今やらなかったらもう一生できないだろう」と思って、後悔しないために仕事も辞めました。それが去年の3月です。その月末には今のマネージャーに会い、夏が来るまでは日本中1人でドサ回りしていました。あの決断がなかったら何も引き寄せられなかったと思います。僕は二の手・三の手は持っていたい、という慎重なところがあるんですが、「その自分が全部を一気に手放すのか」と驚きました。

――山崎まさよしさんや、今作の共同プロデューサーである江川ゲンタさんと出会った経緯とは。

浜端:ゲンタさんと出会ったのが先でした。関西時代の事務所の方がブッキングしてくれて、2年ほど前に東京でライブしたときに2、3回パーカッションで入っていただきました。初めてご一緒させてもらったときに、楽屋で山さんの「6月の手紙」を弾いていたんですが、そのときにゲンタさんが「俺、その歌知ってるぜ」と話しかけてくれて。自分がライブで叩いてるんだからもちろん知っているはずですよね(笑)。本番が終わると「この後時間あるか?行くところあるからついて来い」と言われて、着いたのが山さんの家だったんです。山さんベロベロに酔っ払ってましたけど(笑)。

――その夜は3人でどんな会話があったのでしょうか。

浜端:そのときは「どんな歌やってんの?」みたいな、初めましてのちょっとした会話でしたね。その後、ゲンタさんが『美ぎ島ミュージックコンベンションin宮古島』というフェスに誘ってくださったんです。そして、去年の3月末にはオリックス劇場で山崎まさよしさんの公演を拝見させていただいて、今のマネージャーとも知り合いました。そうして(去年の)8月に「10月から山崎まさよしのオープニングアクトをしてもらいたい」と言っていただきました。そこからは丸1年間、前座としてステージに立つことができました。

――その間に山崎さんとの交流も深まりましたか?

浜端:はい、基本的に全公演行くので、最初から打ち上げまで一緒です。年越しも山さんのお宅にお邪魔していました。山さんのチームは、約20年の間に打ち上げの解散が段々早くなっていったらしいんですけど、山さんはもっと飲みたいらしいです(笑)。そこに若手の僕が現れたので、山さんにはだいたい部屋に引っ張られていきます。長崎のライブのときは、打ち上げの後バラバラに解散したんですけど、先に帰った山さんがロビーで「氷結」を飲んで待ってるんですよ(笑)。みんなでいるときはわりと真面目な音楽の話をしますけど、二人で飲む展開の時の山さんは酔っているので、たいした話はしません(笑)。

――デビューにあたって何かアドバイスをもらったり、学んだことはありましたか。

浜端:直接アドバイスらしいものをもらったわけではありませんが、「SEED FOLKS」というツアーを全て見せてもらって、背中で全て教えてもらったような気がします。それを経た自分のライブも変化が出てきていると実感するので、それが何よりのアドバイスですね。例えば雰囲気や間の取り方。僕は無言が怖くて、曲間にちょっと喋っちゃったりするんですけど、黙っててもかっこいいのが山さんで。曲が始まる前にポロポロと弾くギターも含めて、まだまだ盗めるものはあります。ツアーは11月半ばで終わってしまうんですけれど、後3~4回あるので、盗めるだけ盗もうと思っています。

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