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台湾の無名校が夏の甲子園で決勝進出していた!? 感動秘話『KANO ~1931海の向こうの甲子園~』

kano_sc010.jpg近藤監督(永瀬正敏)率いる嘉農野球部。スタメンは漢人2名、原住民4名、日本人3名という3民族による混成チームだった。

──ホウ・シャオシェン監督の『悲情城市』(89)は日本統治が終わった大戦直後から物語が始まりましたが、日本統治時代そのものを描いた台湾映画はそれこそ『セデック・バレ』くらいしか日本では知られていないと思います。日本統治時代の出来事である嘉農野球部の活躍は、台湾では有名な史実だったんでしょうか?

ウェイ 僕が嘉農のことを知ったのは、実は『セデック・バレ』のリサーチをしていたときだったんです。日本文化と台湾原住民との価値観の違いから生じた霧社事件を調べていく上で当時の様々な資料に目を通し、偶然にも嘉農が甲子園で準優勝した事実を知ったんです。僕自身が初めて知り、驚きました。台湾の人たちも、ほとんどこの話を知らなかったはずです。これは映画にして、みんなに知らせなきゃいけないと思ったんです。それが『KANO』を製作することになった発端でした。

マー 僕が個人的に感じていることなんですが、台湾の人々は歴史に関して鈍い部分があるように思います。でも、それには原因があると思うんです。台湾は古くはオランダ人がやってきて、その後は清朝の為政者が大陸からやってきて、さらに日本人がきて、戦後は国民党が政権を握った。時代が変わると、すぐに前の時代のものは全部壊してしまえということが繰り返され、あまり過去のことは知らなくてもいいんじゃないかという感覚が台湾の人々は身に付いてしまったんじゃないでしょうか。幸い、ウェイ監督が『セデック・バレ』を撮り、また『KANO』がヒットしたことで、台湾の若いクリエイターたちの間で「もう一度、台湾の歴史を認識しなおそう」という機運が高まっているんです。『セデック・バレ』は悲惨な出来事でしたが、でも過去の歴史から学ぶことで未来を豊かなものにすることができると思うんです。『KANO』の場合は忘れられていた輝かしい過去の出来事です。歴史上のプラス面とマイナス面の両面を知ることで、歴史は現代を生きる僕たちにとても大きな力を与えてくれると考えています。日本のみなさんにも、嘉農という素晴しいチームがあったことを知ってほしいんです。

──近藤監督は礼儀作法にうるさい一方、分け隔てなく嘉農ナインに愛情を注ぐ。『KANO』を観ていて、古き善き時代の日本人に出会ったような懐かしい気分になりました。「台湾人は歴史に鈍い」とマー監督は言われましたが、80年以上昔の資料を集めるのは大変でした?

マー 普段なかなか目に触れることがないだけで、野球の公式戦に関する資料はちゃんと残っていたので、試合に関しては記録に基づいてドラマを描いています。特に甲子園に関する資料は、夏の甲子園を主催している朝日新聞社がとても協力的で、いろんな情報を提供してもらうことができました。永瀬さん、坂井真紀さん、大沢たかおさんといったキャスト以外にも、多くの日本の方から協力してもらっているんです。

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