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ノンフィクション作家 清泉亮インタビュー

「ノースキンは亡国病」女帝が見続けた吉原の変遷を読む『吉原まんだら』

yoshiwaramandara04.jpg寝首をかこうとする者には時に凄みも必要。この商売はまさに“真剣勝負”

──83歳の高齢でありながら、現在も、グループの経営に現役で携わっていますね。やはり、おきちと同様に吉原の荒波をくぐり抜けることができた人物です。

清泉 鈴木さんは戦後、上野駅の地下道で、餓死した死体を間近にしながら戦後の日々を暮らしていました。その底辺から這い上がって今の地位を手に入れたから、お金を手にする苦労を知っています。決して余計な出費などありえない庶民がこぞって、株だ、海外の国債だと資産運用に奔走する現代に、鈴木さんは有り余る財を持っていても、身の丈を超えた博打まがいの投資をすることはないし、不動産は買えども、利ざや稼ぎに転がすことはない。どんなに小さな、猫の額ほどの土地でも決して手放さない。それは決して、彼が吝嗇だから、ではないでしょう。手離すことよりも、手に入れることの苦難を知っているからだと思います。そして、それは彼の戦中戦後体験によって強く育まれたものでしょう。ソープランドという、ともすれば人に蔑まれる商売でありつつも、1円、1銭を稼ぐ大変さを肌身で理解している経営者だと思います。おきちも、吉原で働く女性たちからマー坊と呼ばれて愛された鈴木さんも、共通するのは、戦中戦後に死線をさまよったという体験です。死線を経験した人間には、僕のような第二次ベビーブーマーにはない、絶対体験があると思います。それは、言い換えれば、不退転の覚悟、とでもいうような。

──本書では、膨大な資料から吉原の明治~平成にかけての変遷を辿っていますが、その中で吉原の「町」について印象的なものありますか?

清泉 角海老の創業者である宮澤平吉を調べていたら、意外にも当時、吉原の経営を支えていたのは明治維新後の華族たちだったことを知りました。立場のある人々が、妓楼の出資者だったのには驚きましたね。今でも、吉原神社の玉垣(神社の周囲にめぐらされている石でつくられた柵)には、昭和初期に名門・角海老のオーナーであり、衆議院議員だった遠藤千元の係累の名前も刻まれています。妓楼を持つことは、当時の人間から見れば相当のステータスだったんです。

 また、今回、法務局に入っている吉原の土地台帳をすべてコピーしてもらい、戦前からの各店のオーナーから店長、そして土地の所有者を照らし合わせていったんですが、わかったのは、いずれも名前が一致しないということです。わかりやすく言えば、土地、建物、店のすべてで所有者が異なり、そして、オーナーと呼ばれる人間は「のれん」を持っている。近代以降の遊郭は、極めて輻輳的な支配関係が入り乱れているということなんです。ですから、名オーナーと呼ばれてきたような人物が、登記関係の書類には一切、登場しないということになります。

 この複雑な支配関係が、赤線廃止によって構造的に変わる時代が来るんです。トルコ風呂に移行できたのは、土地の所有権を持っている人々になります。土地を担保に銀行が金を貸付けて、銀行自身がトルコ風呂経営を積極的に後押しし始めたからなんです。そうすると、土地を持っていた者がオーナーとして生き残る時代がやってきました。店のオーナーと登記上の所有権者とが初めて一致する時代を迎えるわけです。江戸以来の旧態とした支配関係の構造が、赤線からトルコ風呂への移行において初めて劇的に変わったんですね。

 このように、吉原という遊郭の所有関係には、見方によっては近代日本の支配構造が象徴的に凝縮されていたようにも見えて、大変に興味深いです。

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