美しすぎる母が、息子と近親相姦…! 悲劇の殺人事件【バーバラ・ベークランド】の全貌!!
■“普通じゃない”結婚生活 ダリも訪れた真夜中のパーティ
バーバラが結婚するにあたりブルックスに隠していたことは偽装妊娠だけではなかった。実は彼女は、母親同様、精神病を発症しており、ブルックスと交際する少し前から精神科の治療を受けていたのだ。医師はバーバラが結婚したことを知らず、人づてに結婚したと聞いたとき「おぉ神よ。どうか子どもだけは授からないように……」と苦しげな表情を見せたと伝えられている。彼女の精神病はそれほど悪いものだったのだろう。
嘘を積み重ねて結婚したバーバラとブルックスだったが、新婚当初は夫婦仲が良かった。浪費家で見栄を張ることが好きという共通点を持ち、ニューヨークのアッパー・イースト・サイドにある超高級マンションで、セレブ友達を招いては、優雅なパーティー三昧の日々を送っていたからである。
世界的画家のサルバドール・ダリや、『ソフィーの選択』などの名作を執筆したウィリアム・スタイロン、詩人のディラン・トマスら著名人とも交流した。わいせつな遊びもよくしたそうで、下半身を露出し上半身を隠した男性招待客を一列に並ばせ、妻やパートナーに当ててもらうというゲームなども好んでいた。
しかし、この「普通でない暮らし」はバーバラの精神を少しずつ蝕むようになっていく。ブルックスが「この部屋に入ってきた最初の女性とセックスしよう」と提案したことがあり、この発言にバーバラが逆上。客が帰宅した後、外に飛び出し「じゃあ、あたしも最初に車に乗せれくれる男性とやる」と見ず知らずの男が運転する車を止めて乗り込んだこともあった。セレブたちの「金がすべてを解決する」というクレイジーな日常が、バーバラの精神状態を悪化させたのだ。バーバラの感情の起伏はどんどん激しくなっていった。スキーリゾートで、真夜中に外に出て泣きわめいたり、何の脈絡もなく突然逆上したり、ブルックスと取っ組み合いの喧嘩をするようになり、友人たちも戸惑うようになっていった。
■そして、トニーの誕生 サドの文章を朗読させる
しかし、そんな最悪の状態になっても2人は別れなかった。1946年8月に最愛の息子トニーが誕生したからだった。24歳で出産したバーバラはトニーを溺愛。ブルックスも自分がダメ男だった分、息子に大きな期待をかけ、2人は自宅パーティーに来る客に、いかに我が子が天才かを披露した。描いた絵、話した言葉、それだけでなく、マルキ・ド・サドのエロチックな文章を大きな声で朗読させ、客をどん引きさせた。過度に期待するわりには、遊んだり、かわいがったりしてくれない親に不満を抱いたトニーは、暗い表情でハエの羽をちぎったりしていた。しかし、バーバラとブルックスはそれを見て、戒めるどころか「素晴らしい。何かの才能がある」と褒めた。
トニーが8歳になると、2人は「より良いハイクラスな環境」を求め、ニューヨークを出て、ヨーロッパを転々とするようになった。彼らが滞在するリゾート邸宅には、グレタ・ガルボ、テネシー・ウィリアムズなどのハリウッドスター、女優リタ・ヘイワースと世界屈指の大富豪アーガー・ハーン3世の息子を両親に持つ、プリンセス・ヤスミン・アーガー・ハーンら、超一流セレブたちが訪れた。
美形の両親の血をひいたトニーは、絵に描いたような美少年へと成長していったが、2人にとって彼はアクセサリーでしかなく、世話はしなかった。2人は「子どもがいるから別れない」と言いつつ、リゾート地で浴びるように酒を飲みながら社交に没頭。トニーは金持ちの子どもたちが通う寄宿学校に入れられ、休暇で戻ってきたときもほったらかしにされた。
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