奇習!「村の共有物になった娘」の短すぎる生涯
【日本奇習紀行シリーズ 3】東京都青梅市
「あまり大きな声じゃ言えないけども、なぐさみ者っていうのかな。そういうのはあったよ。カヨさんっていうんだけどね。私が6つか7つくらいのときに、10くらい上だったね」
東京都青梅市。その中心部からさらに車で30分ほど入った山あいの小さな集落で、今年、米寿を迎えた山中時男さん(88)は、かつてこの地域に存在していたという『秘密』について、ゆっくりと語り始めた。
今を遡ること約80年前の昭和10年頃、この地域に住む人々の間では、みんなが知っているハズなのに、なぜかその存在について口にするのを憚るという、あるひとりの少女がいたという。名前はカヨ。山中さんの話によると、彼女は、今で言うところの知的障害を負っていたそうで、実際には20歳近かったにもかかわらず、まるで幼女のような言葉を話し、屈託のない笑顔を見せていたという。
「カヨさんはこのあたりでも、割りと貧しい家の子でね。器量は悪くなかったと思うんだよ。むしろ良かった。けれども、頭がアレなもんだから、両親が外に出すのを嫌ってね。それで最初は土蔵の中で隠すように育てていたっていう話だよ。けども、年頃になると、ちょっかいを出そうっていう男が増えたんだよな。それで、なおさら両親は隠すようになったんだけど、あるとき一計を案じたっていうわけだ」
知的障害を負った我が娘が、性的な意味で好奇の目に晒されるようになると、さらにその存在を隠すようになっていったというその両親。しかし、自らが老いていくことを思えば、その亡き後、誰が彼女の面倒をみるというのか。そうしたことを思い悩んだ彼らは、ある妙案を思い付く。それは、愛娘を誰かの許へと嫁がせるのではなく、“集落全体の共有財産”として扱うことだった。
「なんていうんだろうね、当時は今よりもおおらかな時代だったからね。そういう女っていうのは、村にひとりやふたり、いてもよかったんだ。後家さんなんかもそうなんだけどね、自分の女を売るというか、体を提供する代わりに、死ぬまで村の男たちから面倒をみてもらうっていうさ。今聞くとね、若い人にとっちゃおかしな話に聞こえるかもしれないけども、当時はね、今みたいに、女がひとりでやっていくなんてなかなかできないことだったから、そうやって生き延びていく人はあちこちにいたと思うんだよな」
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