デビュー40周年!“アニソン界のプリンス”影山ヒロノブの「衝撃を受けたアーティスト」と「続けられた理由」
──影山さんは後進の育成にも積極的ですが、後輩にあたるシンガーの中に、びっくりした方は?
影山 知れば知るほどすごいのは、奥井雅美ですね。奥井って、わかりやすく上手く見えるタイプのシンガーと比べると、「普通」に見られやすい。でも、そこがすさまじいところなんです。基礎的な部分のレベルがとにかく高い。ぶっちゃけ、誰よりも上手いと思いますよ。
奇をてらったことをしなくても、何でもできる珍しいシンガーだと思っています。
──それは、先ほどのサザンオールスターズに衝撃を受けたことと似た印象を受けます。
影山 近いと思います。ボクも、そういうことをやりたいと思っているんですけど、なかなか奥井のようにはできない。
シンガーには、音程やリズムのキープ力、声量、音域の広さなど、さまざまな基礎スキルが必要じゃないですか。それがわかる人が聴けば、奥井は男女の別なく、もっともすごいと思います。あんなのできる人は、ほかにいませんよ。
──こうして40年続けてこられたわけですけど、ここまで続いてきた理由をどう考えていますか?
影山 案外、人と上手くやっていける気さくなところが、自分にはあったのかなと思っています。
──やはり、人とのつながりが大切ということでしょうか。
影山 例えば、すごい実力の人がいても事務所とうまく関係を築けなかったり、スタッフが離れていく人は大成しないと思いますよ。
自分は、今のスタイルの運営になって15年。その前の事務所も25年いたんですよね。いいときも悪いときもありましたけど、それも含めて25年続けられる人間関係を(前所属事務所と)つくれたのが、長くやってこられた理由だと思います。
──そのキャリアの中で『アニぱら音楽館』も今年で17年目。アニソンの情報番組というもの自体が黎明期でしたから、相当な手探り感があったのではありませんか。
影山 声優さんたちのムーブメントと同時にアニソンが来ていたころなので、やることは、たくさんありました。いい意味での手探り感を感じていました。
──なんでも試せる自由さが魅力的だったということでしょうか。
影山 そうです、まだキッズステーションも小さかったし。例えば、野川さくらをデビューさせて、自分がプロデュースをすることになって……。
それこそ、中野サンプラザでのライブあたりまでは、ランティスと一緒に曲を作ったりサポートをしたり。そういう、実験的なことがなんでもできる雰囲気がありました。
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