【磯部涼/川崎】双子の不良が歌う川崎の痛みと未来
日本有数の工業都市・川崎はさまざまな顔を持っている。ギラつく繁華街、多文化コミュニティ、ラップ・シーン――。俊鋭の音楽ライター・磯部涼が、その地の知られざる風景をレポートし、ひいては現代ニッポンのダークサイドとその中の光を描出するルポルタージュ。
少年は必死に手を伸ばした。スマートフォンのスクリーンの中では、男がマイクを握って、ステージから満員のフロアに語りかけている。少年にとって彼は憧れであり、救いを与えてくれる存在だった。しかし、少年は最前列にいるにもかかわらず、耳もとで発せられる少女たちの叫び声のせいで話の内容を聞き取ることができない。せめてシャッターを押そうとするものの、もみくちゃになってピントが合わない。
そのとき、突然、少年の手からスマートフォンが奪われた。はっとして顔を上げると、壇上から伸ばされた刺青だらけの腕が、そして、キャップの下でいたずらっぽく笑う顔が目に映った。男はくるりと背を向けるとスマートフォンを掲げ、それをまた少年に返した。スクリーンを覗き込めば、カメラを見つめる男の写真が表示されており、後ろを埋め尽くす若者たちの中に、ぽかんとした少年もいた。
少年は宝物をもらったかのようにスマートフォンを両手で包み込んだ。歓声を掻き消すように重低音が鳴り響き、次の歌が始まる。
Rap My Pain Away
過去の痛みごと俺なら歌にして
Rap My Pain Away
歌ってくよお前らの痛みまで
Rap My Pain Away
背負った過去の数だけ未来はある
Rap My Pain Away
どんな場所でも必ず光が射す
(2WIN「PAIN AWAY」より)
中学のヤンキー専用教室にいたT-PABLOWとYZERR
2016年12月13日、川崎駅前に立つキャパシティ1300人規模のライヴハウス〈クラブチッタ〉にて、インディの、しかも新人のラップ・グループとしては前代未聞となるワンマン・ライブを成功させたBAD HOP。だが、その1カ月後、グループのリーダーを務める双子のデュオ、2WINの片割れであるYZERRは悔しそうに言った。
「正直、客は思っていたより入らなかったですね。もちろん、見た感じは満員でしたけど、やっぱり、入場規制をかけたかったなって」
一方、兄のT-PABLOWは穏やかに言う。
「まぁ、これからですよ」
ここは、2人が通っていた川崎市立川中島中学校の目の前にある藤崎第2公園。午後の早い時間で、まだ授業は続いているはずだが、2人がいると知った生徒たちが学校を抜け出し、遠巻きに様子をうかがっている。すると、そこに女性教師がやってきた。
「あの子たちに戻るように言ってよ。君たちの言うことだったら聞くから」
T-PABLOWは照れ臭そうに笑った後、息を吸って叫んだ。静かな住宅街に、日本で今もっとも注目を集める21歳のラッパーの声が響き渡る。
「お前ら、勉強しろ!」
ただし、2人にしても真面目に勉強をするような子どもではなかったという。
T-PABLOW(以下、T)「勉強なんて小2からしてないですよ」
YZERR(以下、Y)「オレなんか、最近、居酒屋で割り算の使い方を知りましたからね。割り勘のときに、『あ、そういうこと?』みたいな」
T「国語は強かった。作文のコンクールで3回くらい最優秀賞を取ってる」
ちなみに、そこで教科書となったのはマンガである。
T「読書の宿題もマンガで済ませてました。特にヤンキーものには影響されましたね。小3で『クローズ』(高橋ヒロシ、秋田書店)にハマって、学校で抗争みたいなことをするようになって。それも、黒板の角に相手の頭を打ちつけて血がバーッと出て7針縫ったりとか、かなり本気の」
Y「で、校内では物足りなくなって、他校を順番に潰していったり。雑魚ばっかりで余裕だった」
やがて、中学生になった2WINは、いよいよ、学校という枠に収まりきらなくなっていく。
T「格好は完全にヤンキーでしたね。ニグロ・パーマをかけて、制服は上着が超長ランで、中にタートルネックを着て、エナメルベルトをつけて」
Y「オレは短ランにボンタンで」
T「タバコ吸って。真面目なヤツはこの公園で吸うんですけど、オレらは校内を吸いながら歩いてました。先生とすれ違って『ういーっす』みたいな」
Y「最終的には、専用の教室がつくられて、『暴れるぐらいなら、ここにいろ』って話に」
T「テレビがあってソファがあってクーラーがあって、『最高じゃん』って。でも、見張りの先生にフザけてプロレス技をかけたら、被害届を出され、集団リンチ事件化して、学校に居場所がなくなった」
Y「ただ、当時は教師もクズばっかりでしたからね。オレらをねちねち注意しておいて、家庭訪問に行った先で14歳の女子生徒に手を出したりだとか。隠してたけど、子どもはみんな知ってる話だった」
ヤクザが天職だと思っていた少年が「高校生RAP選手権」で優勝した
一方で、2WINと仲間たちは、地元の年上の不良からカンパという名目でもって、上納金を数十万円単位で徴集されていた。それを賄うため強盗を繰り返し、中学3年生時に集団逮捕、ニュースとなる。そして、少年院から出た後は、周囲が受験勉強をする中、さすがに将来のことを考え始めるが、彼らが進路として選んだのは、川崎の不良少年の定番である職人ではなく、むしろ不良を極めること……つまり、ヤクザだった。
T「中3のとき、先輩に『オレ、卒業したらその道に進むんで』って言い切っちゃってましたからね」
Y「『若いからお前らはダメだよ』『じゃあ、ハタチになったらお願いします』みたいな」
T「もともと、その筋の人が身近な存在だったんですよ」
Y「小学校のとき、プリントの『将来の夢は?』って欄に『ヤクザ』って書いた友達がいて。『それはねぇだろ』『じゃあ、金持ち』、みたいなやり取りをする土地に育ったんで。中学に入ってからも、暴走族をやって、ギャングをやって、そうしたら、次はそっちでしょうっていう。普通に育ったヤツが普通に高校に行くのと同じ感覚。そもそも、オレは卒業のタイミングでも逮捕されてたから、選択肢がなかった」
T「ずっとむしゃくしゃしてたというか、自分の人生、そういう道でいいやと思ってたし」
Y「開き直ってたよな。これより最悪になることはないだろうって」
T「あと、そのときはそれが天職だと感じてたんですよ。性格にも合ってた」
Y「もし本当になったとしたら、お前のほうが成功してたよ。オレの場合、つっぱっちゃってすぐにパクられそう。お前は人をまとめ上げるのもうまいし」
T「ただ、進路を聞かれたときに“ラッパー”とも答えてたんですよ。別に本当になりたかったわけではなく、『いつかラッパーになって、経験したことを歌ってやるぜ。だから、今は無駄じゃないんだ』って、自分がやってることを正当化するために」
2WINと仲間たちがラップを始めたのも、もともとは、年上の不良から「向こう(アメリカ)のギャングはラップをやってるんだから、お前らもやれよ」と半ば命令されたことがきっかけだった。また、彼らはその流れで“BAD HOP”というクラブ・イベントを仕切る任務を与えられる。しかし、当初は仕事だったはずが、T-PABLOWはだんだんとラップにのめり込んでいったのだった。
T「働いてたバーを閉めたあと、朝まで延々とフリースタイルをやってましたね。その後、『高校生RAP選手権』出場の話も先輩から来たんですけど、優勝したときはうれしかったというより、びっくりした。『え、オレでいいの?』って。生まれて初めて、真面目なことをやって認められたので」
Y「で、たまたま、『高校生RAP選手権』で顔を知られたがために、不良の道をドロップアウトすることになった。メディアに出た人間がそっちに進んでも説得力がないじゃないですか。だから、あの番組がなかったら、今頃は本職になってたと思う」
ところで、公園を出て、近所のなんの変哲もない中華料理店に入ったときのことだ。曇りガラスのドアを開けて店内に入った瞬間、先客を確認する2WINの表情は、地元にいるにもかかわらずまったくリラックスしていないように見えた。
T「こういう店にも不良のヤツらがいたりするんですよ。そうすると、ちょっと勘ぐっちゃうというか、身構えちゃいますよね」
Y「若いヤツらの中には、オレらが有名になったことを妬んでるヤツもいるし。川崎がほかと違うのは、すぐに手を出してくるところ。東京だとまず掛け合いがあるじゃないですか。川崎はまず殴ってくるから、気を抜けない」
T「常に最低のことをイメージしてるんです。マンションの前で溜まってて、真面目そうな人に『どいて』と言われても無視してたら、若い衆を連れてきたりとか。『やべぇ、侮った』っていうことも経験してますし」
Y「オレら、初対面のときは、明らかな年下にも敬語を使うんです。それは礼儀正しい人間でいたいっていうのもあるんですけど、なによりも最低なことをイメージしてるから」
2WINがそういった川崎の、外の世界を初めて知ったのが『高校生RAP選手権』だった。その数年前、YZERRは深刻な少年犯罪者が入ることになる、いわゆる医療少年院で、カウンセラーから生活環境の特殊性を指摘されたという。
Y「その先生は、酒鬼薔薇(聖斗)のカウンセリングもやってたみたいなんですね。オレは14歳で2回目の少年院だったんですけど、『それって、確率でいうと東大に入るよりもスゴい。エリート・ヤンキーだよ、君は』と言われて。で、過去の経験を説明したら、『本当に偏った世界で生きてきたんだね。おかしいということに早く気づいたほうがいい。洗脳されてるのに近い状態だ』と。そのときに初めて、川崎って普通とは違う街なんだとわかったんです」
では、彼らを育てた家庭はどんなところだったのだろうか? 時計の針を戻そう。
家族で食卓を囲んだことがない双子の貧しく悲しい幼少時代
95年11月、T-PABLOWこと岩瀬達哉とYZERRこと岩瀬雄哉は、川崎区の大気汚染の要因といわれる産業道路沿いの街、池上新町で生まれている。そして、双子の物心がつく頃には、家庭は困窮のただ中にあったという。
Y「プールに行っても、数百円の入場料もないからってオレとパブロだけ入ってましたからね。おふくろは外で待っていて」
T「いまだに忘れられないのが、サンタに『靴下をください』って手紙を書いたんです。サッカーのとき、ボロボロで恥ずかしかったから。そうしたら、読んだおふくろが『買ってあげられなくて、ごめんね』って泣きながら外に飛び出してしまって。その日は帰ってこなくて、夕飯抜き。謝らなくていいから、メシつくってくれよって思いましたよね」
貧困の呼び水となったのは、父親が抱えた借金だった。内装業を営んでいた彼は、親会社の倒産により優に億を超える額を返済しなければいけなくなり、いわゆる闇金融にも手を出した。
Y「学校から帰ってくると、留守番電話のサインが点滅してるんで押したら、『てめぇ、詐欺師! このやろう、金返せ!』って怒鳴り声が再生されるとか日常茶飯事でした。ヒドいときは取り立て屋が家に土足で上がり込んできて、母親が土下座しているところをビデオカメラで撮ったり」
T「親父は根はいい人。でも、運が悪くて借金をつかまされた。しかも、ヘルニアで働けなくなっちゃって。代わりに、おふくろが昼間は掃除、夜は工場のバイトをして家計を支えてたんですけど、だんだん、精神的におかしくなり。何回も自殺未遂を起こしてました」
そして、家族は崩壊していく。
T「『サザエさん』とか違和感、ハンパなかったですよ。オレら、家族で食卓囲んでメシ食ったことなんてないですもん」
Y「でも、周りも貧乏なヤツが多かった。BARK(BAD HOP)なんか池上町の1DKに5人で住んでたんですけど、あいつの家は笑いが絶えなくて。だから、BARKは貧乏を大してツラいとも思ってない。その心の余裕がウチにはなかった」
T「そのうち、親父は家を出て、車検が切れたワゴンカーで生活するようになって。おふくろは、真っ暗な部屋でずっとブツブツ言っていて。オレらも家に帰りたくないから、遊び歩くようになりました」
気づけば、岩瀬兄弟は立派な不良になっていた。
Y「当時は親父のことも、おふくろのことも、めちゃくちゃ恨んでましたね。『こんな家庭で育ったんだから、不良になっても文句言えねぇよな?』って。『ヒドい環境で育っても、立派になった人はいる』みたいな説教をする人がいるじゃないですか。何もわかってねぇなと思います」
T「例えば、友達に母親がシャブ中の売春婦で、家で客と寝てるところを見ながら育ったヤツがいるんですよ。しかも、ずっと、虐待されてて、後から、自分が父親とは血がつながってない、客との間にデキた子どもだとわかって」
Y「そいつとか救ってあげたいけど、もはや、性格がねじ曲がっちゃって直らないんですよ。でも、そんな環境で育ってきたヤツを責められますかね?」
「Pain, Pain, Go Away(痛いの痛いの飛んでいけ)」。両親にそう言ってもらえなかった少年は、しかし、「Pain Away」と自分でラップをすることによって、その痛みを治癒したのだ。
T「『高校生RAP選手権』の第1回で優勝して、それでもいろいろ大変で。1年後にようやくしがらみがなくなって、第4回でもう1回優勝できたときに、ばあちゃんが泣いてた。『ヤクザになると思ってたから、よかった』って」
Y「『お前らより背負ってるものが大きい出場者なんていないから、大丈夫だよ』と言ってくれてたもんな」
T「それと、今になれば親父もおふくろもかわいそうだったなって思うんですよ」
Y「おふくろは芸術の才能があるっていうか、絵がうまいし、感覚もオシャレで。そういうところは受け継いでるのかもしれない。親父からもらったものは……あんなにヒドい目に遭っても死のうとしない図太さかな」
YZERRはニヤリとする。2WINにとって過去は笑い話になりつつあるのだ。それよりも興味があるのは未来のこと。ミックステープとワンマン・ライヴをフリーで提供した16年が投資期間なら、17年は回収期間にする。年内中にランボルギーニを購入したいが、その前に免許を取らなければ。夢は膨らむばかりだ。そして、T-PABLOWは若いうちにラッパーを引退し、ビジネスに挑戦したいと言う。果たして、そのとき、彼らは川崎に住んでいるのだろうか?
T「結婚してるだろうし、奥さん次第かな」
Y「オレは海外に移住してると思う」
T「BAD HOPのみんなで沖縄に住もうっていう話もあったな。でも、もうちょっと川崎かな。サボるから。沖縄に行ったら環境が良すぎてリリックを書かなくなりそう」
Y「あと、オレ、川崎で子ども向けの無料の“塾”を開きたい」
T「タダでゴハンが食べられて、タダでレコーディングができて」
Y「オレらがプロデュースするから、スゴいシャレたつくりになりますよ」
2人の活き活きとした話しぶりが、場末の中華料理店を未来の川崎に変えた。そこには、眩しい光が差していた。(おわり)
(写真/細倉真弓)
※本連載「川崎」は、今夏、大幅な加筆の上でサイゾーより単行本化予定。
磯部涼(いそべ・りょう)
1978年生まれ。音楽ライター。主にマイナー音楽や、それらと社会とのかかわりについて執筆。著書に『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)、 編著に『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社)、『新しい音楽とことば』(スペースシャワーネットワーク)などがある。
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