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男子は弱音を吐く訓練をしよう。社会の意外な柔軟性に気付いたら、生きやすくなる――トミヤマユキコ×清田隆之『大学一年生の歩き方』

 ライターとして活躍する傍ら、大学教員として学生たちの悩みに寄り添ってきたトミヤマユキコさんと、同じくライターであり、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表として、これまで1000人以上の恋の悩みに耳を傾けてきたという清田隆之さん。

 お二人がしたためた、悩める若者たちに向けたマニュアル本『大学1年生の歩き方』(左右社)は、大学新入生の指南書としてはもちろん、人生のあらゆる局面を通しての「転ばぬ先の杖」として携えていきたい一冊です。

 若い時期に失恋をしておいたほうが良いことや、セクハラ・アカハラの捉え方などに話が及んだインタビュー前編では、『男/女という二元論的な括り方をしてはいけないものの、性別によってコミュニケーションのとりかたに異なる傾向が見られる』というお話がありました。学生たちを俯瞰で見たとき、男子のほうがコミュニケーションが雑な傾向がある……というものです。後編ではまず、そこを深堀りしていただきましょう。

▼前編
「転ばないため」ではなく、「安心して転ぶため」に――トミヤマユキコ×清田隆之『大学1年生の歩き方』

泣いている女の子には「なんで泣いてるの?」、男の子には「泣いちゃダメ」!

清田 やっぱり幼いときから「男子として・女子として」扱いに差をつけられてしまうというのも大きいような気がします。ノンフィクション作家・髙橋秀実さんの『男は邪魔!「性差」をめぐる探求』(光文社新書)という本には、泣いてる子どもに大人はどう声をかけるかという話が載っている。いわく、女の子には「いつまでも泣いてちゃダメ」と声をかけ、男の子には「男の子は泣くもんじゃない」と声をかけることが多いんだって。そうすると、女子は「なぜだろう?」と考えてしまう一方、男子は「そうか、男は泣いちゃダメなんだ」としか考えない。しかも泣き止むと「偉いね〜」とか褒められる。髙橋さんは「つまり、(中略)行為について内省を迫られるのが女の子で、責任を性別に転嫁できるのが男の子ということなのではないだろうか」と考察していたけど、こういう扱われ方の差によって、「自分はなぜ泣いてるんだろう」と自分の内部を観察したり、それを言語化したりする力の男女差がかなり開いていくのではないか……。それがコミュニケーション様式の差にも影響しているのではと考えてます。

トミヤマ 「男だから」「お兄ちゃんだから」とか、すごく雑な型にはめて思考停止している気がする。女の子も似たようなことは言われるけど、男の子の方がよりその型の種類が少なそうですよね。「男=泣かない、強い」みたいな感じで、個人に合わせてカスタマイズされていない。「これは清田くんらしくないからやめよう」なら百歩譲って許せるとしても、「男なんだからやめなよ!」っていうすごく雑な言い方で、片付けられてしまうのが悲しい。自分なりに型の形を変えたり、別の型を持ってくる能力があればいいですけど、そういう能力を持たない人は、ごく少ない手持ちの型でいくしかない。

清田 人々から恋バナを聞いていても、男子の恋バナは正直言っておもしろくない。話のディティールが豊かな女子の恋バナに比べ、男子は自己観察能力や言語化能力が圧倒的に劣っているから、マジで何を言っているかわからないのよ……。例えばケンカの理由を尋ねても「なんか知らないけど彼女が怒っててー、とりあえず謝ったら大丈夫でした」みたいな答えだし、恋人の好きなところを聞いても、「いや、フツーにいい子っすよ」って、本当にそれだけ(笑)。

トミヤマ 雑だなー。要は感情労働が苦手なんですよ。「思いやる」とか「察する」とか。

――それは生物学的な問題ではなく、後天的なもの?

トミヤマ 社会的なものだと思いますけどね。感情労働が苦手な男子を量産してしまうこの社会。

清田 それがジェンダー(社会的性差)と呼ばれるものでしょうね。男女で生まれつき脳みその構造が違うとか、そういう問題ではないと思う。って、自分も男なので全然笑えないんだけど……。

女子の“お茶”は、ちょっとした心の切り傷を癒すための文化

清田 「つらい」とか「しんどい」とかの感覚だけはあるんだけど、その捉え方がものすごく低解像度というか、どのようにしんどいか、なぜしんどいかを本人は具体的に認識できていないってことですよね。だから他人に上手に相談したり愚痴をこぼしたりすることもができず、でも人前では気を張って普通にしていないといけないから、なんとなく誰も気づかず、自分も把握できず。放っておくと病気が重篤化するみたいに、きつさがどんどん増していって、臨界点を超えるとドロップアウトっていうことがあると思う。

トミヤマ ドロップアウトする学生って、周りに何も言わないでひとりで決めてしまう子が多いんですよ。あとは早稲田大学だからというのもあるかもしれないんですけど、親の期待を一身に背負っている子たちがすごく多くて、「親のガッカリする顔が見たくない」って言うんですよね。それは見ていてすごく辛そう。

清田 マジメなタイプなんだよね……。

トミヤマ そうなんだよ〜! 「先生、最近しんどいんで話聞いてください、ついでにサイゼリヤも奢ってください」とかずうずうしく言えちゃう子だったら、うまいこと軟着陸できたのでは……という気もするので、やっぱり弱音を吐くのも訓練が必要なんですよね。特に男の子はそうだと思う。女の子は恋バナとか、昼から集合してお茶を飲むっていう文化があるじゃないですか。でも、よく考えたら、“お茶”って結局何してんだよって話ですよね。意味なく集合し、特にオチのない話をし、みたいな(笑)。でもそこで、ちょっとした心の傷みたいなものはある程度癒えるわけです。本当に重傷のときは男も女も大変ですけど、日常の切り傷レベルのときに何ができるかっていうのが、男と女ではおそらく違っていて。女子はだいたい小学生くらいで「とりあえずなんかあったら集まって喋る」という習慣が身につくパターンが多いので。

清田 女同士のお喋りって「オチのない話をダラダラと」ってレッテルを貼られがちだけど、本当はああいう対話が男の人には一番必要なんだと思う。相手が何を考えていて、相手の身にどういうことが起きていて、とかを交換し合うやり取りが“存在(being)を認め合う”ということだと思うんだけど、男社会はあまりそういうことを重視しない。ただそこにいるだけじゃ意味がなくて、“行動(doing)”、つまり何ができるかを重視する価値観に支配されている。女子がbeingを認め合うコミュニケーションを小学生のときからやってるとなると、大学に入るころには男女で大変な差がついているわけで。

――いわゆる「コミュニケーション能力」というものでしょうか。他者との距離の取り方や、気持ちの察し方などがかなり違ってきてしまうと。

清田 そもそも、男子と女子がイメージしている「コミュニケーション能力」って、絶対に別物だよね。男子のイメージするそれは「場を盛り上げる力」に近い。

トミヤマ バラエティ番組の司会か、ひな壇芸人のどっちかならOKってことですよね。それって女子のコミュニケーションにおいては求められてないかも。

清田 例えば知り合いに「ザ・男子」みたいな人がいるんだけど、彼は自分の気持ちを他人に話すのが怖いんだって。深みがないというか、「その程度なんだ」「そんなことがしたいんだ」って思われてしまうのが怖くて、欲望とか希望を表明したり、感情を説明したりすることができないらしい。だから、映画の感想とかを話すときにも「自分はここでグッときた」じゃなくて、「このシーンあの監督っぽいよね」とか、情報の方に走ってしまう。それってある意味、自分のbeingを隠して守る行為でもあるよね。だからいつまでたってもbeingが空洞のままになってしまう。

トミヤマ 大学という場は、そういう思い込みをどうにかできる場所なんですよ。会社組織ではないし、先輩後輩の関係もゆるいし。そこで「いろんな人がいるんだな」って思ってもらえれば、「こうでなくちゃいけない」という思い込みも少しは減るし、社会に出たときも、ある程度は楽にやっていけるのではないかなと思います。

キラキラ学生ってある意味究極のdoing人間だから、そのdoingがなくなったときに自分を支えられなくなるかもしれないなと思ったりします。でも、逆にドロップアウトしちゃう人って「俺のbeingはもうダメだ」って感じで、beの部分に関してものすごく卑屈になっているので、そういうときは「じゃあ、beは置いといて、doだけでもやってみたら?」って言いますね。そしたらちょっとbeも持ち直すかもしれないよって。そして、doingとbeingバランスを一番取りたがっているのが“普通”の人たちなんだと思います。

だからある意味、中途半端であるがゆえに人生を最も豊かに生きる可能性があるんですよ。キラキラでもなくアウトローでもなく、中途半端を超真剣に考えてくれたら、最高だと思います。上を見て嫉妬することもないし、下を見て馬鹿にすることもなくなりますから。中途半端な自分を全肯定してそこを磨いていくというか、半端な自分を愛でていくということができたらいいんじゃないですかね。

“変な自分”もうまく編集して渡せば、受け取ってくれる人はいる

――私は学生時代、早稲田大学でトミヤマさんの「編集実践」という演習を履修していたのですが、あの演習こそ、そういう「半端な自分」や「変な自分」を肯定する力を与えてくれる場だったなと思います。

トミヤマ 私が早稲田で受け持っている「編集実践」は、「自分の好きな題材で一冊のZINE(自主制作雑誌)を作る」という形式の演習なのですが、そこでは「あなたたち一人一人の心の中にいるマイノリティを出せ」と言っています。早稲田大学の学生としてのお前は知らん。普段は隠している、マイナーだったり変態だったり、常識から外れているようなところを出せ、と。

すると、「実は伊達巻が大好きで、正月になると一日一本のペースで伊達巻を食べてます」みたいな学生が登場する。一応、教室内では「どんなネタが出てきても引かない・却下しない」っていうルールを設けてあるので、自然と「お前の伊達巻き愛はわかった。じゃあこれをどうやっておもしろくするかみんなで考えようぜ」という空気になるんですね。「食べ比べレビューしなよ」とか「レシピが知りたいです」とか、みんなしてすごく必死に伊達巻のことを考える(笑)。そうすると、その学生は「たとえ変なところがあっても、社会って意外とそれを受け止めてくれる柔軟性があるんだ」ということがわかるようになる。ちょっと変なところがあったとしても、うまくアレンジすれば、意外と受け取ってくれる人はいるんだなって。

「“変な自分”は隠さなくていい。でもモロ出しだと引かれちゃうことある。でもうまくやれば完全に隠したり否定したりしなくてもよくなるんだよ。そうしたらあなたは楽じゃん」っていうことを伝えたいんですよね。

清田 その「受け入れられた」っていう実感は大事だよね。たぶん、「私はあなたに興味があります。あなたの存在を私は脅かしませんし、あなたがそこにいることを認めます」っていう空気さえ交換できていれば、コミュニケーションは男女関係なくグッドコミュニケーションとして成り立つと思うんだよね。それを大学の教室みたいな場所でできるっていうのはすごくいいと思う。

トミヤマ 私の演習だけじゃなくて、他の授業でも、自分のやり方次第で「おかしな自分のまま認めてもらう」っていうことは絶対にできるはずです。やっぱり、先生が期待している答えを言っているようでは、学生としてはまだ二流なんですよ。自分の中のマイナー性みたいなものをあえて出して、苦笑いとかする人もいるかもしれないけど、ある程度受け入れてもらえるって経験をしたほうが絶対いいです。それが「大学空間を活用する」ってことじゃないかなと。理想論かも知れないですけど、単位のためじゃなくて生きるために大学に行くべきだし、そのついでに単位が付いて来るんだって思って欲しいですね。もちろん勉強はしてほしいけど、それだって、生きるための勉強なんですよって言いたいです。

清田 でもそのときはなかなか分からないんだよね。「正解を言わなきゃ」とか、「みんなにスゲーって言われるような発表をしなきゃ」とか思っちゃう。外部の評価基準に身を委ねちゃうんだよね。でもそこで、「俺は伊達巻が好きだ!!」って言ってみる、そういう経験を1回か2回積むだけで、そこからの人生が全然変わってくると思う。耳を傾けてくれる他者、おもしろいと思ってくれる他者が目の前にいるってことを実感することはとても大事だよね。怖くても1回賭けに出てみて、ある意味“賭けに勝てた”っていう経験は積んでおいて損はない。強張りが取れるような心地よさがある。

トミヤマ 「俺は伊達巻食わねーけど、お前の伊達巻愛はわかったぜ」でいいんですよね。「みんなで一緒に食べよう」まではいかなくていい。わたしもその学生のことは大好きだけど、いまだに伊達巻き食べてないし(笑)。

即効性はない。だけど自分で自分を見るときの画素数が、ちょっとだけ上がる

トミヤマ これはやはり自分が教員だから思うことなんですけど、「でかい声でわかりやすいことを言う教員」って、学生たちからすごく人気があるんですよ。「えーっと……」みたいな感じで、迷いながらボソボソ喋る教員は人気がない。でもそれって、すごくdo重視じゃないですか! 単純明快な論理で話してくれて、1時間半聞いたら一つのテーマがスパンとわかって。

まあ、それもいいんですけど、「何言ってるかよく分からないけどなんとなく可愛いおじいちゃん先生」みたいな人もいるじゃないですか。ときには自分の動物的勘を信じて、そういう人のところに行ってみるのもアリだと思いますね。あふれ出るbeを感じて欲しいです。

清田 わかりやすい効果や対価といったコストパフォーマンス重視で授業を受けるのも悪くはないのかもしれないけど、「この先生なんか気になるんだよな」っていうフィーリングで選んでみるのもぜひオススメしたい。話をしばらく聞き続けていると、そのときはよく分からないんだけど、後々ちょっとずつ「自分が気になってたのってこういうことだったんだ」ってわかってきて、自分の中で考えたことがいろいろつながってくるという現象が起こる。勉強って、そういう体験がおもしろいわけじゃない。一種の勘みたいなものが働いて、話を聞いたり本を読んだりしながら言葉で追いかけていくと、だんだん自分の最初に感じたものの輪郭がはっきりしていく……っていうのは、地味だけど勉強の本質的な部分だと思う。感じたことや考えたことを言語化する力を養っておけば、いろんな場面で役立つと思う。

この『大学1年生の歩き方』だって、読んで10年くらい経ったころに突然「あれはそういうことだったのか!」ってわかることがあるかもしれない。即効性のある本ではないけど……そういうものがちりばめられているからこそ、大人の読者から反応がいいのではないかと思う。って自画自賛になっちゃうけど(笑)。

トミヤマ 明日から人生が劇的に変わる本ではないですね。いつ読んでいいし、何回読んでもいい。中学生が未来に思いを馳せてもいいですし、大人が過去を振り返ってもいいんです。即効性はないけど、自分で自分を見るときの解像度がじわじわと上がっていく。それだけは保証しますし、それが“自分の人生を豊かにする”ってことだと信じております!

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トミヤマユキコ
1979年生まれ。秋田県出身。ライター/早稲田大学文化構想学部助教。『図書新聞』『タバブックス』『文學界』などで執筆中。著書に『パンケーキ・ノート』(リトルモア)がある。

清田代表/桃山商事
1980年生まれ。東京都出身。恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。失恋ホストやコラム執筆などを通じ、恋愛とジェンダーの問題について考えている。桃山商事の新刊『生き抜くための恋愛相談』(イースト・プレス)が9月に発売予定。

最終更新:2017/08/03 07:15
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