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【コラム】大切なことはみんな転職で学んだ!「先人に学ぶ転職立志伝」


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 劣悪な職場環境に耐え、スキルアップにつながらない業務を淡々と繰り返す毎日。「転職」の二文字が頭をよぎっても、グッとこらえてしまうサラリーマンも多いことだろう。ましてやそれが、一度転職して入り直した会社だったらなおさら。

「転職を繰り返すと不利になるのではないか?」

 もしそんな不安に駆られ、身動きできなくなっているのなら、先人たちの立志伝に目を向けてもらいたい。偉大な起業家には、意外にも若くして転職を繰り返した人物が多い。むしろ、転職によって成長した人々ばかりであると断言してもいいだろう。


◆転職によって生み出された「きんとま商法」


 我々が日常的にお世話になっている段ボール。それを日本で最初に製造したのはレンゴーの創業者・井上貞治郎である。だがこの人、『若者はなぜ3年で辞めるのか?』なんて本のタイトルがかわいく思えるほど数多くの転職を繰り返し、中には3日と持たない職場もあったという。

 まず最初の就職先はでっち奉公だった。14歳で家を出て、掃除や子守といった雑用ばかり。おまけに意地の悪い女中にもいじめられる。おかみさんの「独り立ちするまでの辛抱や」という言葉だけが励みだった。しかし20年間勤め上げてようやく店をもらったのは2人だけ、しかも本家の下請けに過ぎない小さな店だった。こんなところに居ては大物になれないと悟った貞治郎は、すぐさま紙の販売所に転職。ここで身に付けた紙に関する知識が、後に段ボール事業を始めた際に役立ったという。

 だが、ここも長くは続かない。転々と職を変えながらの放浪生活が続き、皿洗い、銭湯、パン屋、理髪店、洋服屋、材木屋、砂利採りの監督、牛肉の行商......大阪から東京、香港にまで足を延ばし、ありとあらゆる職業を経験したが、どれも中途半端なままだった。

 無一文となった貞治郎が一念発起し、再出発を決意したのが27歳の時であった。その後、転職によって得た経験から、商売に必要なのは「金と間(タイミング)」であると学び、独自の「きんとま商法」を編み出した。そして就職した工場の片隅で、緩衝材を作るために紙を波状に折り曲げる機械を偶然見掛け、それにヒントを得て作り出したのが段ボールだった。

 紆余曲折の末、商売を軌道に乗せた貞治郎は自らの立志伝を書いて後にテレビドラマ化されるほど有名となり、レンゴーも現在では創業100年を越える大企業へと発展している。


◆転職が人を成長させる!


 お茶漬けでおなじみ、永谷園の創業者・永谷嘉男もまた、多くの転職を経験している。老舗のお茶屋を継いだものの、太平洋戦争で店が焼失。軍隊から帰って来た後に9回の転職を経て再び茶の小売店を再開したが、商売はうまくゆかなかった。そんなある日、居酒屋で食べたお茶漬けをヒントにインスタント茶漬けを発案。転職で得た多くの経験と、家業のお茶が見事に結実しヒット商品となった。

 かつて永谷園には「ぶらぶら社員制度」というものがあった。出社する必要もなく経費も使い放題、その代わり「2年で売れる新商品を作れ」という条件である。この制度によって国内外をめぐり歩いた社員が、実際に「麻婆春雨」を開発し、見事大ヒットを飛ばした。

 「転職」には人を成長させる効果がある。ひとつの所に留まらず、より多くの経験を積むことができるというのが「転職」の特性だろう。つまり「ぶらぶら社員制度」とは、優秀な人材を放出せずに社内で疑似的に「転職」を経験させるという、自ら転職を繰り返した嘉男ならではの発想から生まれたのである。


◆キャリアに飢えたオオカミとなれ!


 昔から日本には「桃栗三年、柿八年」「石の上にも三年」と根気や根性を重んじる風潮があった。終身雇用が当たり前だった時代には、転職する若者は「ワガママで根気が足りない」と勝手なレッテルをはられたものだった。

 しかし現在、人事担当者への意識調査によれば、営業系やエンジニア系など、人材の流動が日常的な職種においては、転職回数をそのまま「経験値」として評価するという声も聞かれる。転職回数で振るい落とされるということはまずない。むしろキャリアアップのための転職であれば、6割以上の企業が好印象を抱くともいう。

 つまり多くの企業は、今回紹介した井上貞治郎や永谷嘉男のように、キャリアとやりがいに飢えた人材を求めているのだ。
(文=犬山秋彦)


●犬山秋彦(いぬやま・あきひこ)
ゲーム会社、自衛隊、ディズニーランドのお兄さん、DTPオペレーター、雑誌編集など幾度にもわたる転職を繰り返し、現在に至る。戦国時代を中心とする歴史記事の執筆、ご当地キャラのプロデュースを得意とする。