
【島田洋七“がばい”独占手記/第3回】「ヤメロ、バカヤロー!」ビートたけしに“マジ”で怒られた夜
お笑い 島田洋七"がばい"独占手記

漫才ブームが去って売れなくなってから、いろんなことをやりました。六本木で「芸バー」もやりました。当時は東京にお笑いをやる劇場がなかったし、弟子を6人くらい抱えてましたからね、芸を披露する場としてオカマではなく、芸人の芸の芸バーを開いたんです。
ワイドショーが取材に来たんで、着物着て、化粧してオカマの格好をしてインタビューを受けたんです。たまたま、たけしが見ていたんでしょうね、夜、店にやってきて「ヤメロ、バカヤロー。恥ずかしいじゃねぇか。ヤメロ、バカヤロー、早く化粧を取れ。金に困っているならやるから、こんな恥ずかしいことはヤメロ」とマジに怒った。
明石家さんまもフジテレビの『オレたちひょうきん族』のプロデューサーと一緒に来て、「兄さん、恥ずかしいからやめてください、オカマにならんでもいいでしょ」と。あくまでギャグや、その日しかやりませんでしたからね。そう言いながら、たけしもさんまも心配してよく来てくれた。店は4カ月くらいやりましたかね。
その後だったか、伊豆で民宿をやろうと土地を買ったんですが、温泉が出ないことがわかって、失敗しました。
埼玉の所沢に住んでいるときには、ラーメン屋もやりました。「まぼろし軒」。名付け親はたけし。いつ潰れてもいいから。まぼろしのように現れて消えるからだって。
所沢では初の芸能人のラーメン屋ということで、たけしのアイデアで和田アキ子さんに電話して「花輪出してもいいですか」とお願いしたら、「ええよ」と言うんで出してもらった。所沢ですからね、西武の監督だった東尾修さんをはじめ、西武の選手の花輪がずらっと並びましたよ。
マイケル・シャクソンという花輪も出しましたよ。そしたら、外国のレコード会社の人から電話があって「マイケル・ジャクソンとお知り合いですか?」と問い合わせがあった。「いや、ジャクソンではなく、点々がないシャクソンです」と言うたら、「抗議でなく、知り合いか、友達かなと思っただけです」と。マイケル・ジャクソンと知り合いなわけないじゃないですか。ホンマ、いいかげんでしたね。
開店初日は、記念やから半額。ところが、たけしが『オールナイトニッポン』で「洋七の店のラーメンはタダらしいぞ」とまちごうて情報を流した。
店に700人くらいの行列ができたんです。パトカーがやってきて「ガードマンを雇って、整理してくださいよ」と言うけど、ガードマンなんておらんよ。お客さんに、なんで並んでるのと聞いたら、「たけしがラーメン、タダ、タダとラジオで言ってた」と。ラーメン、70杯分しか用意してませんよ。70杯分はタダにして、食べられんかった人にはすいません、すいませんと謝って回りましたよ。700人の列は結構、長い距離ですよ。近所の店にも迷惑をかけたんで、夜中に「たけしがラジオで言い間違えました」と謝りに回りましたよ。
10年前に所沢から佐賀に引っ越すんで、まぼろし軒は店長に退職金代わりにやるわ、と。今でもありますよ。
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