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老舗芸能事務所・サンミュージックが創業50周年! 何度もあった「最大の黒歴史」を振り返る

ベッキー公式サイトより

 11月27日、老舗芸能プロ・サンミュージックが創業50周年を迎えた。

 所属タレント第一号となった森田健作を国民的スターに育て上げ、1970~80年代には桜田淳子や松田聖子を輩出。アイドル黄金期を支え、現在も、俳優、タレント、お笑い芸人と幅広い才能を世に送り出す、有力芸能プロのひとつして存在感を示していることは、もはや説明の必要はない。

 そんなサンミュージックは、これまで幾多の危機を乗り越えてきた。そのあまりに壮絶な歴史は、ほかの芸能プロにはあり得ないものだろう。

 同プロの関係者は、こう明かす。

「サンミュージック最大の事件といえば、やはり86年の岡田有希子の投身自殺です。朝、ガス自殺を図った彼女を一度は事務所に保護しながら、ほんの少し目を離したすきに屋上から飛び降りてしまった。絶対に防げた事故だと、当時の関係者は全員が悔やんで寝られない日々を過ごしたといいます」

 2009年の酒井法子が薬物事件で逮捕されたときには、責任を取って会長職に就いていた創業者の相澤秀禎氏が相談役に退き、社長を継いでいた相澤正久氏が副社長に降格し、社長不在という異常事態にも見舞われた。

 最近では、事務所の稼ぎ頭だったベッキーのゲス不倫騒動も、事務所の屋台骨を大きく揺るがせた。

「テレビ局やCM企業に支払った違約金は4億円にもおよび、事務所とベッキーが折半で支払うことで決着しましたが、事務所にはそこまでのまとまった現金がなく、役員たちはそれぞれの人脈をたどり金策に奔走しました。中には融資を申し出てくれた企業家もいたといいますが、正久社長は、『ご迷惑はかけられない』と、これに頼ろうとはしなかった。そのぶん、苦しい時期が続きました。当時は、社員たちも毎月、『今月、給料出るかな』とささやき合っていましたね」(同)

 だが、先代の秀禎社長が最も苦い思いをしたのは、1989年の松田聖子の独立だったという。

「ある日、相澤社長は聖子が成城に建てたばかりの豪邸に呼び出された。なんの話かと思ったら、『私辞めます』ですから、社長はそれはそれは怒っていましたよ。手塩にかけて育て上げ、数々のスキャンダルからも必死に守ってきて、豪邸が建つまでのスターに押し上げ、これからさらに頑張っていこうというタイミングでしたからね。それでも、相澤社長は対外的には笑顔で円満退社をアピールしていましたね」(同)

 そんな聖子も、2007年にサンミュージックと業務提携というかたちで古巣復帰を果たしている。

「あんな辞め方をした聖子でも、戻ってくれば受け入れてしまう。多くの芸能関係者に尊敬されている相澤さんの優しさと、懐の深さがわかるエピソードの一つです」(同)

 何度も窮地に立ちながら、最後のところで協力者が現れたり、スターが誕生したりして危機を乗り越えてきたのは、相澤親子の人柄ゆえなのだろう。

最終更新:2018/11/28 09:00
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