本多圭の「芸能界・今昔・裏・レポート」

樹木希林さんの後を追うように……故・内田裕也さん“好き放題”の生き様に合掌

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故・内田裕也さん

 昨年9月15日に亡くなった女優の樹木希林さんの死後から約半年。希林さんの後を追うように、夫でロック歌手の内田裕也さんが肺炎で亡くなった。79歳だった。生前は“火宅の人”といわれ、業界ではコワモテで通っていたが、その一方で、ボランティア活動などに取り組む優しさ、希林さんの言葉を借りれば、“純なもの”も持ち合わせていた人だった。

 内田さんは、1973年にバツイチだった希林さんと電撃結婚したが、内田さんのDVが原因で2年で別居。81年に内田さんが一方的に離婚届を提出したが、希林さんが無効を訴え、離婚訴訟に発展した。

 1年半後、東京地裁は離婚届無効の判決を出したが、それでも内田さんは自宅に戻らず、当時、“国際女優”として人気絶頂だった島田陽子が所有するハワイのコンドミニアムで暮らしていた。半同棲状態だった2人は、不倫関係にあった。

 ところが、内田さんは、島田さんに対してもDVを繰り返す。たまらず島田さんが別れ話を切り出したところ逆上し、島田さんを刃物で追い回す修羅場を演じたこともあった。それでも、島田さんは内田さんと別れるどころか、91年に内田さんが東京都知事選に出馬した際には、選挙資金の一部を提供。しかし、内田さんが落選したことで、莫大な借金を抱え、結局破局した。

 他方、島田さんと別れた内田さんは、新たな女性と交際。2011年に、元交際相手だった50歳の客室乗務員に復縁を迫り、強要未遂と住居侵入容疑で逮捕されたのは記憶に新しいが、それ以前にも、大手航空会社の管理職で独身だった40代半ばの美人女性ほか、数々の女性と浮名を流し、逮捕の一報を受けた希林さんが、当初違う女性の名前を挙げたほどだった。

 一方、仕事の面ではコワモテで通っていた。内田さん自身は腕力に自信がなかったようで、常に故・安岡力也さんやボクサー経験もある歌手の故・ジョー山中さんらをボディガード代わりにしていたことも大きかっただろう。

 筆者は、内田さんの数々のスキャンダルを取材してきたものの、当時は面識はなかった。ところが、3年前に急死した伝説の音楽プロデューサー・山田廣作さんから、ジョー山中さんの自叙伝の出版プロデュースを依頼されたことから、内田さんと知り合うようになった。

 01年に、その自叙伝『証~永遠のシャウト』(徳間書店)が出版されると、本の印税はアフガン難民救済のために寄付された。当時ジョーさんは、内田さんと共に難民救済のボランティア活動のため、アフガンを訪問していたからだ。

 内田さんといえば、阪神大震災や東日本大震災での被災地支援活動がよく知られているが、かねてよりボランティアへの関心が高く、海外でも活動していたのだ。

 その後、筆者は内田さんとハワイのすし屋でたまたま遭遇し、家族ともどもご馳走になったことを記憶している。それ以外では直接話す機会はなかったが、吉本興業が主催する『京都国際映画祭』で顔を合わせるようになった。筆者も内田さんも、この映画祭に毎年欠かさず参加していた。

 内田さんは3年ほど前から歩行困難な状態だったが、昨年9月、希林さんが他界した後に開催された同映画祭では、ドキュメンタリー『転がる魂・内田裕也 ザ・ノンフィクション』の上映後舞台挨拶に登場。「今後のロックンロールライフに、とても大きなパワーになって繋がると確信しています」と語っていた。

 エキセントリックな性格からトラブルも絶えず、しかし、母性本能をくすぐるのか、いつも愛されていた内田さん。ロックンローラーとして好き放題に生きたその生き様に魅了されたのは、希林さんだけではないだろう。合掌。
(文=本多圭)

最終更新:2019/03/25 10:00
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