
ボンド企画・名物マネ逝去で振り返る…ビートたけしも関与した岡本夏生“金銭トラブル”の真相
ビートたけし 本多圭 岡本夏生 ボンド企画

80年代に数々の女性アイドルを輩出した芸能事務所・ボンド企画で長らく活躍し、「僕は生涯マネージャー」と語っていた安原相国氏が、3月4日、都内の大学病院で亡くなっていたことが親族から明かされた。享年72。筆者と安原氏は、ビートたけしとの縁で親しく付き合う関係だった。
かつて、芸能界には、「ナベプロ王国」(渡辺プロダクション)といわれた時代があったが、そのナベプロに追いつけ、追い越せとばかりに台頭してきたのが、「ホリプロ」や「サンミュージックプロダクション」「バーニングプロダクション」、それから「ボンド企画」だった。
80年代に入って頭角を現してきたボンド企画には、岡田奈々をはじめ、大場久美子、松本伊代、高岡早紀、高部知子、新田恵利、それに歌手の杏里らが所属。さらに、事務所の原動力になったのが、歌手・松崎しげるのヒット曲「愛のメモリー」で、その松崎の初代マネージャーを務めたのが安原氏だった。
安原氏はその後、アイドルとしてブレイクした松本伊代のチーフマネージャーを務めた。多くの女性アイドルを抱えていたため、スキャンダルも少なくなく、安原氏はマスコミ対策にも奔走していた。当時、筆者との面識はなかったが、業界で安原氏は有名人だった。というのも、安原氏は、自分が在日韓国人であることを隠さず、マスコミ対策として、スポーツ紙の記者に韓国・ソウルへの接待攻勢をかけていたのだ。そのため、「芸能界のKCIA」との異名を取っていた。
また、一般の間でも、『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)リスナーだった人であれば、その名前に覚えがあるだろう。松本とバラエティ番組での共演が多かったたけしは、「オールナイトニッポン」で安原氏を、「ボンド安原」と呼んだり、何でも仕切りたがる性格を茶化して「チェック安原」と呼んでネタにしていたからだ。
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