
ビートたけしと喧嘩別れした「テレ朝の天皇」が他界…最期は関係修復も願うも叶わず
北野武 ビートたけし オフィス北野 皇達也

『欽ちゃんのどこまでやるの!』をはじめ、テレビ朝日の人気バラエティやスポーツバラエティ番組を生み出して“テレ朝の天皇“と呼ばれた元テレビ朝日取締役、編成・制作本部制作局長の皇達也(すめらぎ・たつや)さんが3月20日、誤嚥性肺炎で死去した。享年79。
皇さんは“テレ朝の天皇“と呼ばれながらも、おごらず、また、フッワークが良かったことから、芸能界の重鎮たちから、“スメさん、スメさん“と愛されてきたが、皇さん自身は生前、親しかったブレーンに「ビートたけしとの関係が修復できないのは寂しい」と語っていたという。
1964年、日本教育テレビ(現テレビ朝日)に入社した皇さんは、やがて数々のヒット番組を手がけた。
「皇さんは『欽どん』で萩本欽一を、『タモリ倶楽部』でタモリを、『ビートたけしのスポーツ大将』などでたけしを担当。なかでも、たけしとは、たけしが太田プロから独立して『オフィス北野』を設立した時に力を貸したことで親しくなったんです」(テレビ朝日関係者)
ところが、2018年、たけしがオフイス北野から独立したのを契機に関係が悪化。その後、喧嘩別れ状態となってしまった。
「たけしの独立をめぐっては、当時、社長だった森昌行氏とたけし軍団の代理戦争に発展。『週刊新潮』が騒動の一部始終を報じましたが、その際、イニシャルながら“たけしは愛人のE子さんに洗脳されている”というコメントが掲載されたんです」(元事務所関係者)
実は、このコメントをしたのが皇さんだった。皇さんは幅広いネットワークがあるため、たけしも知らないE子さんのある前歴を知っていた。
「一方、たけしと知り合った当初、E子さんはその前歴を隠していたんです。そこで、皇さんが、イニシャルながら“(たけしは)洗脳されている“とコメントしたんです。事情を知る関係者は、皇さんに拍手喝采しましたが、しかし、そのコメントをした人物が皇さんだと知るとたけしは激怒。直接、電話で皇さんに猛抗議したんです」(皇さんと親しかった番組制作会社スタッフ)
抗議を受けた皇さんは納得せず、たけしが番組を収録しているテレ朝の楽屋に乗り込んだという。
「皇さんは、たけしが森さんを“泥棒”呼ばわりしたことにも怒っていました。というのも、森さんは、もともとテレ朝の番組スタッフで、皇さんのブレーンだった。森さんは、クリエイテイブな才能と実直さで信頼が厚く、その森さんをたけしがスカウトしたんです。たけしは、皇さんに“森さんをください“と頭を下げて、森さんを事務所スタッフに迎え入れた。にもかかわらず、そんな森さんを、たけしは“事務所の金を横領した”と吹聴したんです」(前同)
皇さんが怒るのも無理はないが、しかし、たけしが話を聞き入れることはなかった。
「たけしが逆切れして、話にならなかったんです。皇さんは、“(たけしを)絶対許さない“と言っていましたが、その一方で、関係修復を望んでいました」(前出の大手プロ役員)
しかし、たけしと和解がないまま、皇さんは昨年末、新型コロナに感染。一時回復したものの、体力低下が激しく、3月20日に誤嚥性肺炎で他界した。
芸能界の重鎮たちから、“スメさん、スメさん“と愛されてきた皇さん。ジャニーズ事務所の“女帝”と呼ばれたメリー喜多川さんさえ、皇さんには一目を置いていた。
筆者はといえば、先日、グループの解散とジャニーズ事務所からの退所を発表した「V6」森田剛が約21年前に起こした女性トラブルをきっかけに皇さんと出会って親しくなっていた。フットワークの軽い皇さんは、律儀にも筆者の長女の結婚披露宴にまで出席してくれた。
そんな皇さんにもかかわらず、たけしとは最期まで関係修復が叶わなかったことが悔やまれる。皇さんに改めて合掌。
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