『紅白』とも『レコ大』とも無縁でも……北の大地“塀の中”で歌い続ける演歌歌手・二美仁とは

 NHK『紅白歌合戦』や日本レコード大賞をめぐる歌手たちの動向が錯綜する季節だが、そんな世界とは無縁でも、光り輝き続ける歌手がいる。いつもの当コラムとは趣向が異なるが、今回はそんな男を紹介させていただきたい。

 札幌在住の演歌歌手で、30年にわたって刑務所の篤志面接委員を務める二美仁(ふたみ・じん)は「人間は常に塀の上を歩いているんです。僕もそうです。塀の外に落ちるか、塀の中に落ちるかの違いでしかないのです。一日も早い社会復帰を望みます」と、刑務所のカラオケ教室の生徒である受刑者たちに今日も更生を呼びかけている。篤志面接委員とは、受刑者の更生と社会復帰をバックアップする、特定の分野に長けたボランティアだ。

 そんな二美と筆者が出会ったのは、今から約30年前。「津軽じょんがら流れ唄」という曲がきっかけだった。

 この曲はその昔、村木賢吉の「おやじの海」の大ヒットで一躍有名になった、佐義達雄が作曲。東京・赤坂でスナックを経営していた北海道釧路出身の歌手・五郎正宗がレコーディングして、全国発売された。

 筆者は、この曲をプロモートした親しいプロダクション社長から「いい曲だから、必ずヒットする。協力してくれないか」と頼まれて、当時飲み仲間だった著名なイラストレーターや広告代理店関係者に頼み、レコードジャケット作成にまで携わったが、歌い手である五郎のわがままな人間性と折り合わず、手を引いた。

 その後「『津軽じょんがら流れ唄』を自主制作して、2カ月余りで約2万枚売り上げた歌手がいるから会ってみてほしい」と、音楽関係者から誘いがあった。行きがかり上、引くに引けない筆者が札幌で会ったのが二美だった。

 二美は北海道出身かとばかり思っていたら、南国・宮崎県出身で、歌手を目指して上京。1967年に日本コロムビアから念願デビューを果たした。といっても、コロムビアから自社名を使って活動することを許可されるというだけの、自主制作していくしかない“P盤歌手”と呼ばれる歌手だった。当時はP盤歌手がゴロゴロいて、一旗揚げたいという歌手たちの想いにつけ込んだ芸能ブローカーが「俺が売り出してやる」と言っては、詐欺まがいのマネジメント料を取るという被害が後を絶たなかった。

 有名な被害者は、“芸能界のロッキード事件”といわれた騒動に巻き込まれた大原みどり。大原のマネジャーが、父親から売り出し費用として2億円以上を詐取し、それらが芸能界に裏金としてばらまかれたというものだ。

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