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お笑い評論家・ラリー遠田の【この芸人を見よ!】第117回

博多華丸・大吉 地味ささえも武器に……“九州芸人”の象徴的コンビが「二度売れた」理由とは

51-gvU6CwlL._SS500_.jpg『博多華丸・大吉式ハカタ語会話』(マイクロマガジン社)

 お笑い界では「関西芸人は二度売れなくてはいけない」という定説がある。笑いの都・大阪には東京とは違う独自のお笑い文化があり、テレビ、ラジオ、劇場で多くの関西芸人がしのぎを削っている。関西芸人は、関西でいったん人気を得てそれなりの地位を築いてから、東京に出てきて全国区で通用するかどうかの勝負をしなくてはいけない、というわけだ。

 関西以外の地方では、お笑いを取り巻く環境が十分に整備されていないため、全国区を目指す芸人は初めから東京に出てきてしまうことが多い。「関西芸人は二度売れなくてはいけない」という定説の根底にあるのは、「そもそも関西でしか一度目に売れる環境が整っていない」という事実なのだ。

 ただ近年、関西以外の地域からついに「二度売れた」芸人が現れた。それは、福岡吉本出身の博多弁漫才師、博多華丸・大吉だ。彼らは福岡を拠点として芸人活動を開始。1990年にデビューするとすぐに地元でレギュラー番組が始まり、MCを務めることになった。それが実現できたのは、彼らがたまたまこの時期に設立されたばかりの、福岡吉本の初期メンバーだったからだ。

 華丸・大吉はローカル番組に数多く出演し、九州芸人のリーダー的な存在として長きにわたって君臨してきた。ただ、この恵まれた環境のせいで、のちに彼らは思わぬ苦労を強いられることになる。

 2005年、華丸・大吉は満を持して東京進出を果たした。だが、ここで彼らは、これまで経験していなかった未知の分野に挑戦することになった。それは、全国ネットのバラエティ番組における、ひな壇での立ち振る舞い方だ。ローカル番組でずっとMCを務めていた彼らには、ひな壇芸人としての経験がほとんどなかった。横並びで大勢の共演者がいる状況で、いつどうやって前に出ればいいのか分からない。このときの彼らは、関西で天下を取った芸人が東京に出たときに直面するのと同じような壁にぶつかっていたのだ。

 そんな苦手意識を打ち破るきっかけになったのは06年、華丸がピン芸日本一を決める『R-1ぐらんぷり』で優勝したことだ。このとき彼が披露したのは、『アタック25』(朝日放送)司会者で俳優の児玉清(故人)のものまね。華丸のものまねは、全国ネットのバラエティ番組に挑む彼らにとって貴重な飛び道具となった。

 また08年、大吉は『アメトーーク!』(テレビ朝日系)の「中学の時イケてないグループに属していた芸人」に出演。冴えない学生時代を過ごした芸人たちが、その頃の思い出を面白おかしく語るこの企画は大きな反響を呼んだ。

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