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三笠宮家で“ヒゲの殿下”と夫人の確執、そして母娘の断絶が! 原因は酒乱? 厳しい躾?

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】

 今月10日に発売された「文藝春秋」に、衝撃的な手記が掲載された。3年前に亡くなった“ヒゲの殿下”こと寛仁親王の長女・彬子女王が、不仲説が流れている母・信子妃について触れたのだ。

〈最近ある雑誌にも書かれていたけれど、寛仁親王家は長い間一族の中で孤立していた。その要因であったのが、長年に亙る父と母との確執であり、それは父の死後も続いた〉
〈母は父の生前である十年ほど前から病気療養という理由で私たちとは別居され、その間、皇族としての公務は休まれていた。私自身も十年以上きちんと母と話をすることができていない。父が亡くなってからも、何度も「話し合いを」と申し出たが、代理人を通じて拒否する旨が伝えられるだけだった〉

 10年以上も母とは話していない──。以前からたびたび信子妃と彬子女王と妹・瑶子女王が疎遠であると報じられてきたが、ついに本人がそれを認めたことになる。しかし、なぜこのような険悪な関係になってしまったのか。まずはその複雑なお家事情を振り返ろう。

 寛仁親王と信子妃が結婚したのは1980年。信子妃は母方の祖父に吉田茂、兄妹に麻生太郎財務相をもつが、寛仁親王に求婚されたのはなんと16歳のとき。プロポーズから8年を経てふたりは結ばれた。

 ご存じの方も多いと思うが、寛仁親王は「皇籍離脱」を言い出したり、1991年には当時は異例のがんであることを公表したり、著書で下ネタを連発したりと、何かと物議を醸してきた人物。だが、もっとも世間を驚かせたのは2007年にアルコール依存症であることを公表したことだろう。公表後に講演会で壇上に立った際には「アルコール依存症の寛仁親王です」と挨拶し、このとき「皇室典範の論議や家庭内の問題で心労が続き、ここ数年で酒量が増えたため、長期療養を決意した」(産経新聞/07年7月7日付)と説明したという。

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