少女300人以上を強姦・殺害した「アンデスの怪物」 今もどこかで生きている!?
しかし、1980年2月にペドロが強姦殺害した9歳のイバノバ・ハコメの両親は地元で人気のパン屋を営んでおり、ちょっとした権力者だった。そのため届け出を受けた警察はすぐに動いた。地元新聞も、イバノバだけでなくほかにも数多くの少女たちが行方不明になっていると報じるようになった。エクアドルは少女を次々と誘拐する凶悪犯がいるという話で持ち切りになった。22日後、郊外の農村地帯でイバノバは腐乱遺体となって発見された。
イバノバの遺体が発見されて間もなく逮捕されたペドロは、57人の被害者の埋葬場所を明かし、110人を殺した罪で起訴された。しかしペドロはもう200人殺したと主張。ここまでベラベラと自供したのにはわけがあった。
1981年7月31日、裁判所に立ったペドロは57人の少女たちの誘拐、強姦、殺人を認め、有罪判決が下った。なんと、禁錮16年。死刑を廃止したエクアドルの法律では、1人殺しても10人殺しても1000人殺しても同じ刑にしか処されないことになっていたのだ。そのため、300人以上殺したと自供しているペドロでも、たったの16年でシャバに出てこれるのである。1人の犠牲者につきたった4カ月の服役という計算である。
■46歳のとき、釈放される
余裕綽々のペドロは刑務所で数多くのインタビューを受けた。「子どもの頃に受けた虐待と性的虐待のせいで、こうなった」「汚れのない清純なオレの心は奪われた。だから少女たちの清純を奪った」と語った。彼にとってセックスは愛を確かめ合うものや楽しむものではなく、強要されるか、強要するもの。自分がされたことを少女たちにして何が悪いという態度を示した。そうかと思えば、「ホルヘ・パティーニオスという人格が出てきて殺した。オレじゃない」と訴えたりした。
やりたい放題のペドロに刑務所は精神鑑定を行い、その結果、サイコパスで反社会性パーソナリティ障害だと診断された。50歳になれば釈放されると知っていたペドロはその日を待ち望み、問題を起こさないよう日々を過した。そして、1994年8月31日。模範囚だとして早期釈放されることになった。この時、ペドロはまだ46歳。「世界一の犯罪者」だと自負し「喜んで同じことを繰り返すよ」と笑う彼が再犯するのは確実だとして、被害者の遺族たちはどうにかしてくれと訴えた。
しかしペドロが自由の身になったのはわずか1時間だけだった。コロンビアに身柄を引き渡すため再び拘束されたのだ。コロンビアに戻ったペドロは殺人罪に問われたが、1995年、精神異常者だと診断され精神病院に収容。1998年、50ドルの保釈金を支払い「精神病院での治療を定期的に受けること」「毎月、裁判所に出廷すること」を条件に仮釈放された。
仮釈放されたペドロは実家に戻り、何十年も疎遠になっていた母親に向かって「オレの前でひざまずけ」と言った。母親は、「それをするのなら、あなたがしなさい。息子なんだから」と抵抗した。ペドロは「ここに来たのは、お前が死んだ後、何をくれるのか知るためだ」と言い、「わたしは貧乏なのよ。ベッドと椅子しかないのよ」と答えると、家の外にベッドと椅子を引きずり出した。「誰に買ってもらったんだ。答えないと燃やすぞ」と脅し、年老いた母親が泣きながら「知り合いの女性が買ってくれた……」と言うと、母親のなけなしの金をむしり取り、無言でその場から立ち去った。その後、誰も彼を見た者はいない。精神病院の治療も受けておらず、裁判所にも姿を見せていない。
ペドロは怒り狂った被害者の遺族に殺されたという説があるが、彼の母親を含む多くの人たちが彼は今なお生きていると信じている。また同じ犯行を繰り返しているという説もある。2002年10月、国際刑事警察機構、インターポールはペドロに対する国際指名手配を出した。「アンデスの怪物」と呼ばれた史上最悪の連続殺人鬼は、何度も警察の手に渡ったものの、今なお尋ね者となっている。
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