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【閲覧注意】生きたミイラ、ジョナサン・バス ― 全身骨化し、死ぬまで動けなかった男

0325bass2.jpg画像は「gingerstrand.com」より引用

■奇病の発症、止まらない進行

 それは学校へと向かう途中のことだった。右足の拇指球に骨を貫かれたような激痛を覚えた彼は、釘か何かを踏んだかと思って靴を脱いだが、そこには何もなかった。その後患部は燃えるような痛みを増していったという。

 翌日になっても立つことができず、痛みは膝にまで広がっていった。たくさんの医者に診てもらい、リウマチの治療を受けるも一向に改善することなく、結局その痛みは秋まで消えることがなかった。その頃には杖なしでは歩けないようになってしまっていた。

 彼はその後も5年間にわたり各地の医者に診てもらったものの、原因は解明されず、あらゆる治療を試すも効果がなかった。それでも諦めずに方法を探し続けたジョナサンは、体力が低下していくのに反比例するように知識をつけていった。

 治療への執念は消えず、何度も何度も医者に診てもらうことを続けたため、彼は医療界でも注目を浴びた。よく食べよく寝るという健康的な生活を続けていながらも進行する彼の症状に医者たちは困惑し、まれに見る奇妙な症例として「生ける不思議」と呼ぶなど、興味を深めていった。それと同時に、そんな症状に冒されながらも知的に健気に活動する彼を賞賛する声も上がった。

■家族による甲斐甲斐しい介助

 1853年、ついに彼は働くことができなくなり、母親に世話をしてもらうことになった。母親はとても優しく献身的に世話をしてくれたが、3、4年後には骨化が進み、顔以外の筋肉は動かせなくなってしまった。アゴ先といくつかの歯を使うことができたため、食欲もあり、消化器官も健康に機能していた彼は、なんとか食事をすることができていた。

 しかし症状は徐々に進み、1869年には白内障も発症する。彼は視力も失ってしまったが、周りの人々は彼のために新聞や本を読み聞かせてあげたという。この時期には、完全に骨化していた彼の指先やつま先から、骨が消えていくという奇妙な現象も起きている。そのためか、彼の体重は45キロから30キロにまで減ってしまった。

 そして1872年、19年間彼を世話し続けた母親が亡くなった。この頃、ジョナサンには医療界や見世物ショー界からたくさんのオファーが届いていたが、それを全部拒否している。彼は農場を売り、その後15年間、彼の弟であるフォスターの家族と暮らした。フォスターの娘であるローズが、彼の世話をしてくれていたようだ。

 そのフォスターも1887年に亡くなると、いよいよジョナサンも生活が苦しくなった。そしてついに、見世物ショーに出演することを決意する。

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