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追悼──国民栄誉賞・衣笠祥雄氏は、なぜ広島の監督になれなかったのか?

衣笠祥雄『鉄人のひとり言』(青志社)

「鉄人」と呼ばれ、連続試合出場の世界記録(当時)を作った元・広島東洋カープの衣笠祥雄氏が23日、71歳で亡くなった。衣笠氏といえば、山本浩二氏と共に赤ヘルカープを牽引し、国民栄誉賞も授与された野球界のレジェンド。米球界でもその名が知られるスーパースターだが、なぜ一度も監督やコーチとしてユニフォームを着なかったのか?

 衣笠氏は1965年に平安高校(現・龍谷大平安)からカープに入団し、4年目にレギュラーに定着。70年秋から続いた連続試合出場(2,215試合)は、カル・リプケンに抜かれるまで世界記録だったほか、通算安打2,543本(歴代5位)、504本塁打(同7位)、MVP・打点王(84年)、盗塁王(76年)など、輝かしい記録を残している。

 そんな衣笠氏にまつわる“球界七不思議”が、彼が引退後に一度もユニフォームを着なかったことだ。古参のスポーツ記者はいう。

「カープのフロントは、1975年の初優勝時の立役者で、その後も主力として何度も優勝に貢献した衣笠さんを『いずれは監督に』と思っていたはずです。生え抜きの選手ですし、人気も抜群でしたから。ただ、衣笠さんが引退したのは87年でしたが、前の年には山本浩二さんが引退しています。フロントとしては、地元出身で『ミスター赤ヘル』と呼ばれた山本浩二さんのほうが優先順位は上です。実際、阿南監督が87年、88年と2年連続で優勝を逃すと、89年からは山本浩二さんが監督になりました。そうなることは既定路線だったので、広島はしっかり衣笠さんに地元放送局の解説というポジションを用意した。しかし土壇場で衣笠さんが、キー局であるTBSの解説者を選んだため、フロントが激怒した──という話を当時、TBSの系列局の人間から聞きました」

 とはいえ、国民栄誉賞をもらった英雄に「地方局の解説者」という仕事は、いかにも不釣り合い。この件で衣笠氏を責めることはできないだろう。

「ただ、結果的にはそれで良かったんじゃないでしょうか。衣笠さんは、デッドボールをぶつけた相手チームの投手に『気にするな』と声を掛けたというほどの、球界きっての人格者。解説を聞いていても『とにかく選手の良い部分を見ていこう』という人です。監督というのは叱る・怒鳴る・突き放すのも仕事のうち。そういう意味では、衣笠さんに監督が務まったかと言えば、難しかったかもしれません。本当は2軍で若手と向き合うのがピッタリだったのでしょうが、『国民栄誉賞』という肩書は、2軍には重すぎますしね」

 結果的にどのチームのユニフォームを着ることもなく、鬼籍に入った衣笠氏。現役時代はガッツあふれるプレーで他チームのファンからも愛されたが、氏の健康状態は関係者の間でも話題になっていたという。週刊誌のスポーツ記者が語る。

「今シーズンが始まる直前の3月末に、NHK(BSプレミアム)の『アナザーストーリーズ』というドキュメンタリー番組で、カープ初優勝が取り上げられました。その年は、カープがチーム史上初となる外国人のルーツ監督を招き大改革、創設以来Bクラス続きだったチームがリーグ優勝した年です。番組には、山本浩二やホプキンス、外木場義郎といった当時の主力選手に混ざって、衣笠さんのインタビューも紹介されたのですが、彼の話し方が、喉が締め付けられているかのような、苦しそうな話し方だったので、スポーツ記者の間で、『一気に老けたよね』『大丈夫かな』と、ひとしきり話題になったところだったんです。それがまさか、こんなことになるとは……」

 今季も現在、首位を走るカープだが、衣笠氏へ優勝を捧げられるか――。

最終更新:2018/04/26 18:00
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