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『希望 僕が被災地で考えたこと』刊行ロングインタビュー

「この身体が、被災者のためになるなら」乙武洋匡 自分の感情よりも、美学よりも【3】

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──やはり、テレビが障害者を映さないことで、乙武さんの『五体不満足』の言葉を借りれば「不便をもって生きている人」がたくさんいるという現状が伝わりづらくなっていると思うんですが、そうした中で乙武さんご自身が思うところを聞かせてください。

乙武 最近それこそTwitter上で「カタワ」という言葉を意図的に使っているんですけど、それに対して、差別的用語だから使うべきではないっておっしゃる方が当然いるんですね。僕の意図としては障害者そのものに対する概念を変えていかなければ意味がないと思っていて、最近、障害者の「害」の字をひらがなにして「障がい者」と表記しようという動きが広まっているじゃないですか。「世の中に害になる」とか何とか。僕はあれ、くっだらないと思うんです。そんなことを言ったら、きっと10年20年経ったら今度は障害者の「障」の字は「差し障る」という意味があるからひらがなにしようという動きが出てきて「しょうがい者」って全部ひらがなになっちゃう。だったらそもそも、全部ひらがなにした「しょうがい者」だって「カタワ」だって一緒でしょ、と。障害者に対する概念が変わってないのだから、どんな言葉を使ったって「これは差別的なんじゃないか」って常に考えてしまう。

 例えば「背が高いですね」という言葉は一般的にほめ言葉のように使われますけど、それを言われて傷つく女の子って絶対いますよね。モデルさんやバレーボール選手なら、言われた方も喜ぶかもしれない。だけど、目の前のこの人は傷つくかもしれない。それって、みんな普通にコミュニケーションしてたら気付くことじゃないですか。そういうコミュニケーションが、対障害者になると、目の前にいる相手がどう感じるかということはスッ飛ばされてしまって、一般的に「カタワはやめよう、障害者の害の字は開こう」となる。そんな風に一概に否定するんじゃなくて、手足のある人、障害のない人と接するときと同じように、その人の前で使っていい言葉かどうか考えながらコミュニケーションをしようよっていうのが、僕が言いたいことなんです。

──よく分かります。ただひとつ難しいのが、障害者本人よりも障害児を持つ親のほうがそういう言葉にデリケートになっていると思うんです。「うちの子を傷つけるな」という母親の気持ちって、やっぱり最強のものであって。個対個で話すときは、もちろん相手を慮ってケースバイケースで判断すべきことなんですが、メディアの中でそういう言葉を使っていくときに注意しなければいけない場面は少なくない。実際に、障害者の親たちからテレビ局にクレームが来る、テレビは過度に自粛する、言葉がなくなっていく、障害者という存在そのものが社会からスポイルされていく、という悪循環が起こっていると思うんですが、乙武さんが「大人になった障害者」という立場から、障害のある子を持つ親たちに言えることってありますか。

乙武 そうですね、もし子どもを守るつもりで言葉に敏感になったり、他に対して過剰な要求をしてしまっているんだとすれば、それが本当にその子のためになるのかということを考えてほしいな、と思うんですよね。そうやって障害のある人を特別視する社会、障害のある人を指す言葉に対してあれこれ考えさせるような、つまりは障害のある人を腫れ物を触るような存在にしてしまうことが、本当にこの後、その子にとって生きやすい社会になるのか。

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 確かに僕がTwitterで発言している内容というのは一見過激に見えるし、障害者をバカにしていると捉えてしまう人がいるかもしれない。でも、僕が言っていることが少しでも実現に近づいたら、絶対に障害のある人の生きやすさにつながっていくと思っているから、わざとそうしているんです。

 だから、その瞬間、その痛みだけを考えるんじゃなくて……親なんて、先に死ぬんですよ。その子が、その後の社会の中で生きていくときに、どんな社会になっていたら彼らが生きやすいのかってことを、もう少し視野に入れていただくと、「おまえ、カタワだろ」って気軽に言い合える関係性を他と築けたほうが、僕は絶対に楽だと思うんですよ。

──そうですね、大人は次の世代に社会を遺さなければいけない。子どもたちの話で言えば、今現在も福島の原発周辺にはたくさんの子どもたちが暮らしていて、彼らは大きな悩みと苦しみの中にいると思うんです。なんで親が引っ越さないんだろう、なんで自分は避難できないんだろう、という中で生きている何十万人の子どもたちに今、私たち、日本の大人たちは何を伝えられるのでしょうか。

乙武 うーん……。なんと言うか、今、福島にいる子どもたちを、まるで地獄にいるように語る人たちがいっぱいいて、もちろん、3.11の前と後だったら、前のほうがいいに決まってるし、原発の近くに住むよりも遠くに住むほうがいいに決まっていると思うんですけれど、とにかく、今置かれている状況の中で常にベストを尽くすということしか言えないな、と思うんですよね。海外に目を向けたときに、もっと悲惨な環境の中で生きている子もいっぱいいるし、二十歳まで生きられないという子どももいる。子どもたちの役割と大人の役割はやっぱり違うし、子どもたちは、それがどんな状況であれ、自分のできる限りのベストを尽くす、東京の子どもであれ福島の子どもであれ、ルワンダの子どもであれ、とにかくベストを尽くす。大人は、いかにその子どもたちがベストを尽くせる環境を整えてあげるのかってことなんですよね。その、子どもたちにとってベストの環境が何なのかっていうのは、今きっと議論をしている最中だと思うんですけど……。

──なかなか答えは出にくい。

乙武 そうですね、うん……。ただその、僕自身のこともそうだし、すべての人間がそうだと思うんですけど、現在地の自分に対して肯定できていれば、そこまで生きてきた時間のすべてがプラスに感じられると思うんですよ。つまり、今僕が幸せだなって思えれば、この手足がないことも含めて幸せなんですよね。もし僕が幸せじゃないって感じていたとしたら、きっといろいろなことに原因を求めて、手足がないから幸せじゃないんだとか、そういうことを言い出していたと思うんです。だからこそ、失ったという事実がもう変えられないんだとしたら、今は深い悲しみの中にあり、大きな喪失感に包まれている中でも、これからの心の持ちよう次第で、数年後、数十年後に、幸せだなって感じられるときがきて、振り返れば、あんなこともあったね、あれがあったから自分は強くなれた、あれがあったから僕はあなたと出会うことができた、そういうふうに、プラスに、少しでもプラスに捉えられるように、これからの歩みを重視していくしかないのかな、ということを感じてますね。
(取材・文=編集部/写真=岡崎隆生)

●おとたけ・ひろただ
1976年、東京都生まれ。早稲田大学在学中に出版した『五体不満足』(講談社)が多くの人々の共感を呼ぶ。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、05年4月より、東京都新宿区教育委員会の非常勤職員「子どもの生き方パートナー」。07年4月~10年3月、杉並区立杉並第四小学校教諭として教壇にも立った。おもな著書に『だいじょうぶ3組』、『オトタケ先生の3つの授業』(共に講談社)など。
Twitterアカウント:@h_ototake

希望 僕が被災地で考えたこと

いまできること。

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オトタケ先生の3つの授業

こういう先生に教わりたかった。

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最終更新:2013/09/12 10:56
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