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これは小説なのか!? 気鋭の芥川賞候補作家が放つ、斬新な言語世界『緑のさる』

fuchisaru.jpg『緑のさる』(平凡社)

 小説を読むと、ときに重箱の隅をつつくように作品のアラを探し、つじつま合わせに終始してしまうことがありはしないだろうか。また逆に、つじつまが合っていることが小説の“おもしろさ”なのだろうか。

 緻密な構成、流れるような筋書き、論理的な仕掛け、そのような整然とした小説の醍醐味といわれているものに、真っ向から疑問をぶつけたのが山下澄人『緑のさる』(平凡社)だ。山下氏は2005年、「演劇界の芥川賞」と呼ばれる岸田國士戯曲賞候補となり、このたび第147回(2012年上半期)芥川賞候補にもなった気鋭の作家だ。

 『緑のさる』は全8編のごく短い章で構成された連作短編。とある劇団に所属し、葬儀屋のアルバイトで生計を立てている“わたし”は、ある日突然、劇団のリーダーであるサカタから劇団の解散を告げられる。“わたし”の元恋人で劇団員のノジマヨウコとサカタが付き合い始めたことが解散の理由だ。しかしこの導入は、その後さしたる発展も見せず、病室や浜辺へ、次々と場面が転換される。それぞれの物語がつながっているのか、繰り返される記号に何か意味があるのか。ひとつの眠りの中で、複数の物語が同時進行していく夢のような小説だ。

 中でも7章「ぎそくのゆめ」が出色だ。浜辺で会った男・キンバラが、見た夢の内容を語り出す。キンバラはサチコという少女になり、交通事故で片足を失ったこと、スナックで働いていたこと、トウドウという男と恋をし、結婚したこと、DVを受けたことなど、少女の生涯を断片的に経験する。初めて義足をつけたときの痛みなどが瑞々しく描かれており、不思議で、心温まるエピソードだ。

 脈絡も結末もなく、「だからどうした」と言われればそれまでなのだが、そもそも作者は整然とした筋を描こうとしておらず、意味づけを拒否しているようにも思える。ラストでかごの中から「マンキー、ニィー」と笑う緑色のさるは、まっとうな世界(常識的な物語)をせせら笑っているのではないだろうか。

 小説らしい小説にヘキエキしている方は、この『緑のさる』を一度手に取ってみるといい。幼いころのように、素直に物語を読む楽しさを思い出させてくれるはずだ。
(文=平野遼)

最終更新:2012/10/09 08:00
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