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「時代に抗うことなく、静かに消えてゆく」日本最後の見世物小屋一座の生きざま

misemono_main.jpg (C) 2012 Yoichiro Okutani

「さぁ、寄ってらっしゃい、みてらっしゃい」

 威勢のよい口上が、夜の祭り会場に響きわたる。お化け屋敷というには少しケバすぎる小屋構えに戸惑いながらも、なんだか懐かしいその雰囲気に心奪われ、お客は小屋へと吸い込まれていく。

 室町時代に始まり、歌舞伎や人形浄瑠璃と共に京都の四条河原を賑わせた見世物小屋。江戸時代には大衆文化のひとつとして発達し、その後、神社のお祭りや縁日などに仮設小屋を建て、各地を巡業して回るスタイルが確立された。全盛期の江戸後期には全国で300軒の小屋があったが、1950年代末には48軒、1980年代後半には7軒と減少し、1990年代には4軒、2010年以降は1軒のみとなっている。

 そんな最後の見世物小屋一座「大寅興行社」の人々との10年間にわたる交流と旅を記録したドキュメンタリー映画が、12月8日より新宿K’s cinemaで公開される。

 本作の監督・奥谷洋一郎氏が大寅興行社と出会ったのは、2001年。お祭りでお化け屋敷のアルバイトをしたのがきっかけだった。それまで見世物小屋なんて見たこともなかったし興味もなかったが、一座の暮らしと人情に惹かれ、映画美学校の友人たちと撮影を始めた。

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 大寅興行社は、二代目親方の大野初太郎さんと彼の3人の姉妹たち、そして大寅興行社最後の太夫であるお峰さんの家族3人の、計7人で商売を行っている。日本全国をトラック1台で旅し、目的地に着けば一座全員で仮設の小屋の設営にとりかかる。犬や猿やヘビも一座の一員だ。名物の絵看板をかけ、小屋に明かりを灯せば、いよいよ興行が始まる。
 
 見世物小屋の芸人は太夫と呼ばれ、一座の家族以外にも、昔はさまざまな境遇の太夫が集まっていたという。お峰さんも、母と一緒にこの一座にやってきた。

「昔は、よそからもらわれてきた子や体に障害のある人たちが芸をしていたという話もありますが、僕はこの10年の大寅さんのことしか知らないので、実は詳しい歴史はよくわからないんです。でも、見世物小屋の芸って、いきなり『山から出てきました』とか『ヘビを食べます』とか、細かい説明ははしおって始まるので、そういう世界観だというのを受け入れた上で楽しまなければならない。ウソか本当かよくわからない太夫さんの出自も、商売道具のひとつなんです」

 演芸は、ヘビ(喰い)女や人間ポンプ、ロクロ首、剣舞、気合術、犬の曲芸など小屋によってさまざまだが、大寅興行社は女性が多く、とりわけ華やかな一座だったという。

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