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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 小堺が『ごきげんよう』で得たもの
テレビウォッチャー・てれびのスキマの「テレビ裏ガイド」第121回

「相方は観客」小堺一機が『ごきげんよう』で得たトークの極意

gokigen.jpg『ライオンのごきげんよう』フジテレビ

「最初、ドッキリだと思って始めたこの番組が、31年も続きました。今日で長いドッキリが終わります」

 小堺一機は、そう視聴者に向けて挨拶した。

『ライオンのごきげんよう』(フジテレビ系)の前身番組『ライオンのいただきます』が84年10月に始まってから31年半、『笑っていいとも!』(同)のタモリと共に、お昼の顔として君臨し続けた小堺が、その役割を終えた。

 31年前の小堺といえば、『欽ちゃんのどこまでやるの!?』(テレビ朝日系)の「クロ子とグレ子」で人気を博し、『笑っていいとも!』のレギュラーも経験していたものの、まだまだ若手芸人のひとりにすぎなかった。だから、お昼の帯番組の司会に彼を起用するのは大抜擢、大冒険といえた。

 その冒険をしたのが、『笑っていいとも!』にタモリを抜擢するという“奇策”を成功させたプロデューサー・横澤彪である。横澤はその当時、流行の兆しのあった「おばさん」タレントたちに目をつけ、彼女たちで番組をできないかと考えた。問題は、その司会者だった。

「小堺くん、どう思います?」

 構成作家の髙平哲郎に横澤はそう問いかけ、自分のアイデアを語ったという。

「これからはおばさんの時代、おばさんパワーのまとめ役に、おばさんから見て可愛い小堺一機を持って来ようと思うんです」(髙平哲郎著『今夜は最高な日々』新潮社)

 そうして生まれたのが、『いただきます』だった。

 小堺は、冒頭の言葉のように、その話をドッキリだと思ったという。それほどの抜擢だったのだ。

 横澤は緊張する小堺に「タモさんにも言ったんだけどさ、毎日だからさ、仕事だと思うとキツいから、遊びに来るつもりでやってくださいね」とアドバイスした。

 だが、数カ月がたったとき、本番の始まる数秒前に「この番組、いつから面白くなるんですか?」と、キツい一言を浴びせた。

 そのとき、小堺は「毛根が死んだ音がした」と苦笑いして振り返っている。

 小堺には、師と仰ぐ人物が2人いる。堺正章と萩本欽一だ。2人はうまくいかない『いただきます』を見て、小堺に同じことを言った。

「あんなに面白い人たちがいるのに、なんでひとりでしゃべってんだ?」

 そう。小堺は、自分が面白いと思うことを一生懸命しゃべろうとしていたのだ。だが、番組のコンセプトは「おばさんパワー」だ。塩沢とき、浦辺粂子、淡谷のり子らパワーあふれるおばさんたちの話こそを聞かせなければならない。それを遮って小堺がしゃべっても、かみ合わないことは明白だった。

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