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FUKUSHIMAから『あまちゃん』へ  大友良英が生み出した「希望の音楽」

【リアルサウンドより】

 今年もフジロックの夢のような3日間が終わり、帰宅した自分が最初に何をやったかと言えば、不在の間の『あまちゃん』の録画を見ることだった。あのオープニング・テーマを聞き、天野春子と鈴鹿ひろ美の壮絶な丁々発止に悶絶しながら、自分が「日常」に戻ってきたことを実感したのである。そりゃそうだ。毎日毎朝、あのドラマを見ることで一日が始まるんだから。

 そんな個人的感慨はともかく、もはや社会現象とも言える『あまちゃん』。その魅力はさまざまに語られるが、ぼくにとってはまず大友良英の作る音楽である。オープニング・テーマに象徴される、自由奔放に、不揃いに、あちこち飛び跳ね、乱反射して、いつまでも遊ぶことをやめない子どものような躍動感に満ちた音楽の数々、生きることの活力とエモーションをまっすぐに伝えてくる。それはあらかじめ定まったサイズのTV画面に押し込められているのではなく、そこから飛び出して四方八方に拡散していくイメージであり、「希望」そのものである。先日、行われたFREEDOMMUNE 0 <ZERO> 』における大友良英&あまちゃんビッグバンドによる素晴らしい演奏と、観客の熱狂は、それを雄弁に語っていた。

 『あまちゃん』音楽の成功について、大友はNHK制作という環境を要因のひとつとして挙げている。NHKの広いスタジオを自由に使えるため、高価な有料貸しスタジオを使うしかない民放のドラマに対して、豊富な予算と時間がかけられる。優秀な音楽家たちを惜しげもなく使っての贅沢な作りは、音楽に厚みと奥行きを与え、お手軽な打ち込みではなく(一部で意図的に使われているが)、あくまでも人力の演奏にこだわった生々しく温かみのある音色と、身体性を重視した即興とアンサンブルを可能にしている。その音楽は快活で高揚感があり、演奏する人間の顔や感情までが見えるのだ。

 もともと雄弁家であり優れた文章家でもある大友は『あまちゃん』に関しても、大量のテキストや発言を残している。ぼくの知る限り、ドラマの音楽家がここまで自作に関して頻繁に言及する例は見たことがない。『あまちゃん』は音楽ドラマでもあるから、そのあまりに膨大な情報と注釈を副読本に、宮藤官九郎得意の迷路のような伏線を読み解いていく過程もまた、『あまちゃん』の魅力でもあるだろう。

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