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「地方に行くほど珍しい名前の子どもが増える?」DQNネーム流行の背景を探る!

■“読めない名前”は当たり前だった

 現在、DQNネーム批判として最も代表的なものが、親たちの「公共性」を問うもの。「読めない名前や珍しい名前には公共性がない=そんな親には公共性がない=常識がない」というのがひとつの論拠である。「ただ、名字で呼びかけることがほとんどです。名前が読めないから困る、ということは案外少ないのではないでしょうか」と小林氏。さらに、歴史的な文脈からも、読めない名前の妥当性を話す。

「日本の名前の歴史としては “読めない”ということは当たり前だったんです。漢字には『名乗訓』という、名前にだけ使える独特の読み方があります。例えば、源頼朝なら“朝”を“とも”と読むのは、名前以外にありません。かつては専用の字典もあったほどです。また、明治時代でも人名を音読みするのは普通で、山縣“有朋”は“ユウホウ”と読みました。本来、名前とは読めないものだったんです」

 しかし、その風潮が一変したのが大正から昭和にかけての時代。緩やかな変動を持ちながらも、名前にとってはとても安定した時代が続いた。そして平成に入り、この安定は崩れ始めている。

「名前は時代を映し出します。とくに戦後は日本全体が比較的安定した時代であり、個性が不要だったので、名前も横並びだったんです。一方、現代は個性が求められる時代にもかかわらず、多くの人はサラリーマン的な個性のない生活を営んでいます。名前だけでも個性的であれという気持ちが、珍しい名前を生み出しているのではないでしょうか」

 また、子育て環境の変化も、珍しい名前を生み出す一因だろう。以前であれば、家族のほかにも地域に生きる多くの人が子育てに関わってきたが、現代では、父母を中心とする家族以外の人間が積極的に子育てに関わることは少なくなってしまった。「今の親は公共性がないからダメだと安易に結論付けては、本質を見逃すことになるでしょう」と小林氏。

「現代の子育ては、かつてのように公共空間が担っているわけではなく、学童保育や塾通いなどの『教育サービス』が、その役割の一部を担っています。子育てをする親たちの公共性がなくなったというよりも、公共空間そのものが子育てから消えてしまっているのです」

こういった環境の変化によって、親の子育てに対する意識も徐々に変化していっているのは事実だろう。

■メディアが影響するDQNネーム

 では、DQNネームは、いったいどういう親が名付けているのだろうか? 「“下流志向” がDQNネームと結びついているのではないかという見解はよく耳にしますが、はっきりとそれを裏付けるような調査結果はありません」と小林氏。だが、「あくまでも私の推論ですが……」と前置きした上でこう続ける。

「地方に行くと、珍しい名前の子どもが多くなる傾向にあるように感じます。地方ではテレビや雑誌などで増幅された情報がストレートに受け入れられる傾向にあり、マスメディアに影響された珍しい名前も広がりやすいのではないでしょうか」

 以前であれば、漢字・漢学の知識が、名前にとても強い影響をもたらしていた。しかし、現代ではこうした教養としての漢字の存在感は、かつてに比べて弱くなってしまった。そういった世間の変化をマスメディアが反映し、さらにメディアに影響された親たちが、子どもたちに“珍しい名前”を命名する。カタカナに当て字を施した名前や、キャラクターに依拠した名前の増加は、日本人と教養としての漢字との距離の変化をも表している。

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