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Mummy-Dらによるパラリンピアン・アンセム「Wonder Infinity」が熱い! 無理解と偏見に立ち向かうパラスポーツと日本のHIPHOP

パラスポーツとヒップホップの共通項

 さて、私見ながら障がい者スポーツと日本語ラップの親しい点は、大きく分けて3つある、と思う。

 まずは、マイナスからのスタートであること。障害を持った者はいわずもがな、地面を、球を、蹴る足がない。もしくは器具を、相手を、掴む手がない。機能を失った不利な体躯でのスポーツは、モデルとするスポーツとは多かれ少なかれ技術が異なる。パラリンピアンを真似ようにも、人により障害が異なるだろう。つまり、競技者は自らの感覚と向き合って自分で独自の成長を模索する必要があるのだ。モデルとする型がありながら、そのモデルにそのまま取り組めない苦悩……。

 これは日本でラップをする者が向き合い続けてきたことでもあった。

 さらに、言語の違いから日本語と英語でラップのリズムにハメる技術が違えば、ラップが映し出す社会的・文化的・民族的背景の違いも大きい。アメリカに住むマイノリティが経験する苦悩や、そこから生まれた詩的表現、独特のスラング。それらを和訳すればいい――わけでもない。

 ラップのビートもソウルやファンク、ディスコから派生しており、それらのジャンルは多くの日本人にとって疎遠なものであった。しかしながら、ヒップホップにはリアリティに溢れるラップと、過去の曲を取り込みながらフレッシュな音へと再構築するDNAがある。つまり自らのリアリティに沿ったラップをするには、自身のスタイルを開発する必要があるのだ。

 2つ目に、無理解と偏見が向けられ続けていることだ。日本国内でもラップの人気が広まりつつあるとはいえ、いまだにステレオタイプなイメージを持たれることが多い。J-POPやアニメソングなど、メロディアスな楽曲が大衆受けする日本において、リズムを刻む文学とも言えるラップは、まだまだアウェイだ。

 パラスポーツも障がい者やパラスポーツ自体に対する無知からくる偏見に苦しむ部分がある。興味深いのは、後天的に障害を抱えたパラアスリートたちも、最初は障がい者スポーツに対して偏見を抱いていたと語っている点だ。ベベ、パトリック、国枝の3者とも車いす生活になった当初は失望して塞ぎ込んでいたそうだが、想像以上にダイナミックなパラスポーツに出会い、魅了され、プレイを通して自由を感じているという。

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