日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > Mummy-Dらによるパラリンピアンアンセム

Mummy-Dらによるパラリンピアン・アンセム「Wonder Infinity」が熱い! 無理解と偏見に立ち向かうパラスポーツと日本のHIPHOP

社会で一般化するほどに、競争は熾烈になっていく

 3つ目は、社会復帰プログラムとして機能している点だ。パラリンピックの歴史をさかのぼると、第二次世界大戦後のイギリスにたどり着く。戦争で負傷した兵士のリハビリが徐々に競技として広まり、のちにパラリンピックが発足した。つまり、パラスポーツは社会復帰を目的としたリハビリを起源としている。

 一方のラップの起源は、いわばパーティの盛り上げ役で、それらとはまったくの無縁だった。しかし、知られざる厳しい現実を描くことで貧しい状況から成りあがったラップスターが多く存在することを踏まえれば、社会復帰として側面も合わせ持っていると言っても過言ではない。それはラップが斬新、かつリアリティあふれる表現で人気を獲得してきた過去があり、リスナーおよび専門メディアがそういった楽曲を求めているからに他ならない。

 テクノロジーの恩恵もあり、ラップへの参入障壁がどんどん低くなっていくぶん、シーンはプレイヤーで溢れかえっている。

 競争の熾烈さは代表権争い顔負けだろう。Mummy-Dは「Wonder Infinity」を任された自身のことを“ラッパー日本代表監督兼現役選手”としていた。その例えを借りれば、AwichとZORNはさしずめ選手団を率いる旗手ともいえる。

 最後に「Wonder Infinity 」は、「変えられる」「超えられる」と3人の声を重ねて繰り返す。この部分に一体感を感じるのは、そのボーカルのおかげだけではないだろう。国内でラップをして身を立てる彼らは、パラリンピアンに似ているからだ。

 オリンピックとパラリンピックの関係に、米ラップシーンと国内ラップシーンの関係に類似性を見出すと、よりわかりやすいかもしれない。境遇をあきらめの理由にせず、できる工夫を積み重ねて独自の芸を磨き、偏見すら向けられる舞台でも少しずつファンを増やす。

 そうして社会のマイノリティから、国を代表するヒーローへと運命を切り開いた者たちなのだ。

斎井直史(ライター)

音楽ライター。主な執筆の場はOTOTOYでの『パンチライン・オブ・ザ・マンス』の連載。その傍ら年に数回、他媒体での寄稿を行う。

Twitter:@nofm311

さいいなおふみ

最終更新:2021/09/17 13:16
123
ページ上部へ戻る

配給映画

トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • twitter
  • feed