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「土俵の女人禁制」の矛盾とは? 国技館、表彰式、千秋楽……大相撲の“創られた伝統”

NHK大相撲中継も問題をこじらせた

――最初に「土俵の女人禁制」が問題となったのはいつですか?

鈴木 1978年に東京青年会議所が主催した「わんぱく相撲東京場所」の荒川区予選小学5年生の部で女子が準優勝し、国技館で開かれる決勝大会への出場資格があるにもかかわらず、相撲協会が「出場できない」としたときです。これに当時の労働局婦人少年局の森山真弓局長が理由を問いただし、抗議します。ここで初めてマスコミと政治家が一体となって「土俵の女人禁制」という言説が流通し、以降、たびたび問題視されて拡大解釈されていくようになります。例えば、森山氏は内閣官房長官であった1989年にも総理の代理として内閣総理大臣杯の授与を申し出て拒否され、「女性が大相撲の土俵に上がれないのはおかしい」と発言して問題化しています。「男女平等」に反するということです。太田房江大阪知事の場合も同様でした。

――整理すると、「表彰式を土俵の上でやらなければ」「神送りした後で表彰式を行うことにすれば」「俗人を土俵に上げたタイミングで男性だけでなく女性も解禁していれば(または相撲関係者以外は土俵に上げないことを貫いていれば)」「大相撲以外の相撲を、土俵祭を行わずに国技館でする場合は『誰が上がろうと問題ない』としていれば」――土俵の女人禁制問題は起きなかったわけですね。これらが重なったことによって相撲協会の理屈が苦しいものになってしまった、と。

鈴木 加えて言えば、神送りを表彰式の前にできないのはNHKの大相撲中継の番組編成上の都合が大きいんですね。千秋楽のときは、夕方6時のニュースに間に合うように表彰式まで収まるように組み立てられている。もともと土俵の四方に柱があったのをテレビの映りの都合から撤去させたのはNHKだという話は有名ですが、大相撲は放送と一体になって栄えてきたこともあり、祭礼としてのロジックを優先して、すでにでき上がっている番組構成の流れを断ち切るのは難しいという面があります。
 大相撲をめぐるさまざまな矛盾が国技館の土俵上に凝縮しているわけです。

――相撲に関して、儀礼を大事にしながら「女性差別だ」という批判に応える落としどころはあり得るのでしょうか?

鈴木 解禁させたい側も相撲協会側も「差別だ」「伝統だ」という決めつけを避け、なぜこういう慣習が生まれ、どういう経緯で現在に至り、これからどう改善すべきかを考えれば、多様な選択肢があります。やり方を変えれば相撲協会も非難を逃れることができるはずです。本書では「伝統や差別でもなく、この議論に終止符を打てる」という提案をして、不毛な二者択一の発想に終止符を打ちたかったのです。
 本来、土俵の上で表彰式をやらなくてもいいのです。例えば力士は土俵に上げるにしても、その外に表彰台を作って授与する形にすればいい。優勝力士と三賞受賞力士の場合は土俵上で理事長が堂々と授与式を行えばよいのです。
 ただ、相撲協会に変えるつもりがあるかどうか。「内閣総理大臣賞」という日本の最高権力者の名称を付与した権威ある賞であるがゆえに、いたずらに動かしたくないというのが本音でしょう。2021年4月19日、「大相撲の継承発展を考える有識者会議」が11回会合を行った結果として改善点を相撲協会に提示しましたが、そこには女人禁制や表彰式改善の話は入っていませんでした。触れてほしくないからでしょう。というのも、土俵の女人禁制問題は10年に一度くらいパッと浮かんでは忘れられるようなものだからです。2018年に起こった騒ぎを蒸し返さずに大人しくしていれば、しばらくしてみんな忘れるだろうという事なかれ主義はそろそろ終了してほしいものです。しかし、相撲協会は変えたくない。協会の組織的な問題だと思います。
 私の提案に類似した意見は、これまでほかの人も提示してきました。「千秋楽のプログラムの順番を変えたら?」とか「表彰式のやり方を変えたら?」とかです。しかし、まったく反応がありませんでした。

相撲が「国技」になったのはいつか?

――変えるにしても、一般論として、「伝統」を盾にしてきた相撲協会が、近代の「創られた伝統」が無数にあるということを自ら認めた上で振る舞うのは難しいのでは?

鈴木 難しいでしょうね。初代の国技館は明治42年に完成し、現在、相撲協会が「伝統」と主張するものの多くがその時点で創られました。千秋楽の重視、表彰式の導入、優勝制度、優勝パレードなどです。国技館も創設年には常設館と呼ばれていて、2年目から国技館の名前が付きました。国技館の名称は創設の祝辞文を書いた小説家・江見水蔭の言葉から選んでつけました。相撲が日本の国技とされたのは偶然に過ぎないのです。たまたま祝辞の中で使われた文言を拾っただけです。江戸時代には国技といえば囲碁という説もあります。相撲は明治時代の認識では武芸・武道のひとつであって、柔道でも剣道でも国技になる可能性はあったのですが、「国技館」という建物が作られ天皇との結びつきが強化されて以降、相撲は国技という言説が広まっていくことになりました。
 今回調べていてわかったことですが「国技」という言葉自体、「national game」の翻訳語かもしれません。やはり近代概念で「創られた伝統」と言えるでしょう。
 相撲の歴史については多くの本が書かれていますし、専門家もたくさんいますが、おそらく今回のような形で「創られた伝統」を強調したのは初めてです。反発も出るかもしれません。ただし、相撲の近代に関してきちんと史料を整理して議論ができる人、明治以降の大相撲の変質過程について順序立てて考える人が相撲協会の内部にはいないようです。いつも外部の有識者に頼っています。とすると、識者にがんばってもらわないといけない。おそらく、有識者が11回も会合をしたなら会議で女人禁制問題も話題に出たとは思います。しかし、報告書の形では表には出てきませんでした。

――鈴木先生が女人禁制問題に取り組む動機はなんでしょうか?

鈴木 マスコミが「女人禁制」という言葉を用いて、なんにでも結びつけて拡大解釈し乱用して、人々の関心や話題を引き寄せていくという流れをなんとか食い止めて、きちんと議論できるようにしたかったのです。その動機は今回の本でも、2002年に刊行した『女人禁制』(吉川弘文館)でも共通しています。
 ただ、リアルタイムで急速に展開していく実態を学問的にとらえるのは非常に難しいです。今回は、日本の民俗学の創始者とされる柳田國男の『明治大正史 世相篇』(1931年)を念頭に置いて取り組みました。民俗学は妖怪や祭りとか、古いことばかり研究していると思われています。けれども、柳田は「民俗学は現代科学なのだ」、つまり現代の状況をしっかり分析することが大事だ、とも言っていました。「世相解説の学」という言い方もします。『明治大正史 世相篇』は当時の新聞の抜書を材料にして、固有名詞や人名を出さずに身体感覚――視覚、聴覚、味覚など――を重視して民衆のミクロな社会変動を描き出そうとした実験の書で、現代社会の解明にも有用です。今回の私の本は相撲に関してはネットや新聞の情報がかなり入っていています。ネット社会を利用して柳田にならった「世相解説の学」を目指したともいえます。今回は女人禁制に関してマスコミ関係者から多くの取材を受けて、相互の対話を通じて鍛えられました。本書は世間とマスコミと私の合作と言えるかもしれません。

鈴木正崇(すずき・まさたか)

1949年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。慶應義塾大学名誉教授。日本山岳修験学会会長。専門分野は宗教人類学で、フィールドはスリランカ、南インド、中国貴州省、日本各地など。著書に『中国南部少数民族誌』(三和書房)、『山と神と人』(淡交社)、『スリランカの宗教と社会』『祭祀と空間のコスモロジー』(春秋社)、『神と仏の民俗』『女人禁制』(吉川弘文館)、『山岳信仰』(中央公論新社)、『熊野と神楽』(平凡社)、『ミャオ族の歴史と文化の動態』『東アジアの民族と文化の変貌』(風響社)。

マーケティング的視点と批評的観点からウェブカルチャーや出版産業、子どもの本について取材&調査して解説・分析。単著『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの?』(星海社新書)、『ウェブ小説の衝撃』(筑摩書房)など。「Yahoo!個人」「リアルサウンドブック」「現代ビジネス」「新文化」などに寄稿。単行本の聞き書き構成やコンサル業も。

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最終更新:2021/09/29 12:00
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