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『チコちゃんに叱られる!』大河ドラマ『鎌倉殿の13人』番宣回、ネタ切れが深刻?

『チコちゃんに叱られる!』NHK大河ドラマの番宣回、ネタ切れが深刻?の画像1
『チコちゃんに叱られる!』(NHK)

 新年1月2日の『チコちゃんに叱られる!』(NHK)にて、「鎌倉殿もみ大河スペシャル~!!」と題した88分拡大版が放送された。ゲストは佐藤浩市、菅田将暉、中川大志の3人。めずらしく、ゲストが全員男性である。

 つまり、1月9日スタートの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の番宣を兼ねた特番だ。実はNHKほど番宣に熱心なテレビ局はないし、サブタイトルからして番宣特番であることを隠そうとしていないところは潔いというか、開き直ったというか。でも、それにしては主演の小栗旬は出演しないんだな……。あと、見る度に佐藤浩市は父親の三國連太郎に似てきている気がする。

ついに登場“中の人”木村祐一をワイプから見るチコちゃん

 この日最初の質問は、「なんで年賀はがきにはお年玉くじが付いてるの?」であった。それって、年賀状の売り上げをよくするためなのでは? ガリガリ君と同じで、当たりがあればついつい買っちゃうし。というか、筆者の家に今年は年賀所が2枚しか来なかった。もう、廃れてもいいような気がするのだが。今や、LINEとSNSでつながれる時代だ。とは言え、2022年元旦の年賀郵便物配達数は10億3,000万通らしく、意外な多さに驚く。

 初めてお年玉付き年賀はがきが配達されたのは今から72年前、昭和25年のお正月とされる。このときに初めて郵便局で年賀状用のはがきが発売されたそうだ。年始の挨拶を手紙で送る習慣は平安時代に貴族が行っており、江戸時代になるとそれが庶民の間に広まった。明治になって郵便制度が生まれると、国が発行する官製はがきが誕生。その手軽さからはがきでの年賀状のやり取りが習慣となり、爆発的な人気に。明治32年には決められた日までに出せば元日に届く年賀郵便物特別取扱がスタートした。そんなに昔から郵便局が年賀はがきを扱っていたとは意外である。

 そして昭和11年、人口およそ6,800万人に対し年賀状の取り扱い枚数はおよそ8億5,000万枚にものぼった。しかし戦争が始まると年賀郵便は減り、年賀郵便物特別取扱は停止に。そして1945年に終戦。戦争の傷もまだ癒えぬ昭和23年12月に年賀郵便は復活したが、取り扱い枚数はピーク時の12分の1以下のおよそ6,900万枚であった。

 そんなとき、民間人であり画家・林正治の発案で生まれたのがお年玉付き年賀はがきだった。郵便とはまったく関係のない職の一般人が発案したものだったのだ。そこには、「年賀状を復活させて戦後の日本を少しでも明るくしたい」という林の熱意が込められていた。

 ここで始まったのは、「NHKたぶんこうだったんじゃないか劇場 郵送り人(おくりびと)」だ。舞台は昭和24年、戦争によって焼け野原になった日本。人々は散り散りになり、消息のわからない人がたくさんいた。ラジオからは、尋ね人の放送が日々流れていた。だからこそ、お互いの無事を確認し合う手紙のやり取りはかけがえのないものだったのだ。しかし、いくら年賀状を出しても林のもとに届けられる返信はほんのわずかであった。

 そんなときに林はひらめく。彼が“みんなが欲しくなる年賀はがき”として思い付いたアイデアは、くじ引きだ。この当時のミシンの値段は、およそ20,000円。平均月収8,000円の倍以上の値段で、月賦で買う人がほとんどだった。林は「ミシンが当たるかもしれんくじ引きが送られてきたらワクワクせえへんか?」と、くじ付きはがきを思い付いたのだ。今や多くの人が当選結果すら見ていない現在。この頃は牧歌的である。

 林は「はがきに付加価値を付ければ年賀状を送る人が増える」と考え、自身のアイデアをさっそく絵にまとめた。このとき林が勝手に考えた景品は、特賞:現金50万円。現在の価値でおよそ160万円だ。いや、誰がそのお金を出すのだろうか……?

 林はこのアイデアを持参して東京の郵政省を訪れ、猛アピールした。「多くの人が年賀はがきを送れば互いの消息がつかめ、離れ離れになった人が再びつながれる」。林は熱心に説得したものの、郵政省からの回答は「悪い案ではないが時期尚早」だった。失敗して責任を負いたくない役人の性が出た、お役所仕事的な反応だ。

 意気消沈する林は、友人と酒を酌み交わし思いの丈をぶつけた。すると、まさかの奇跡が。なんと、その友人が郵政省の事務次官と知り合いだったのだ。コネがすごいし、運にも味方された林。さっそく、彼は友人の紹介で大野勝三郵政事務次官のもとへ向かった。

林  「生きてるか死んでるかわからん人から年賀状が来たら、嬉しいでしょ? それにその上、送る人が増えれば増えるほどこれは世の中の役に立つんです!」
大野 「なるほど。おっしゃりたいことはよくわかりました。戦争が終わってから郵政事業は赤字続きなんです。ですから……やりましょう。これは面白い!」

 このVTRで大野を演じたのは、チコちゃんの“中の人”である木村祐一だった。キム兄の演技をワイプの小窓から見るチコちゃん! 中身と外見のギャップがスゴすぎる。

 兎にも角にも、大野事務次官は林のアイデアに賛同した。昭和24年、かつて郵便を扱っていた逓信省は廃止されて郵政省が独立。だからこそ、郵政事業の赤字解消は急務だった。大野はお年玉くじがかつてドル箱だった年賀状を復活させる起爆剤になると考えたのだ。

 ここからは一気に事が運び、お年玉付き年賀はがきの年内発売に向け動き始める。同時に林は、企業や商店、個人に自家製の見本のはがきを配り、売り上げを推定するアンケート調査まで自費で行った。なぜ、彼はそこまで熱心なのか?

林  「実は昔、郵便に命を助けられたことがあるんです。私は20歳を過ぎた頃、肺を患って山奥の療養所で長期療養しとったんです。正直、命が危ういときもありました。そんなとき、唯一励みになったのが毎日届けられる大好きな女性からの恋文やったんです。ですから、郵便配達の音が聞こえてくる度に胸が躍りました。こんな山奥まで届けてくれる配達の人にも、ほんまに感謝します。郵便は人と人をつないでくれます。だから、戦争で人が散り散りになった今こそ、年賀はがきが届けばちょっとでもうれしなるんちゃうかなあ思いまして」
大野 「なるほど。で、その恋文の女性は?」
林  「妻です」

 まるで、朝ドラのような展開。林は自身の経験から、年に一度お互いの無事を確認できる年賀はがきにこだわっていたのだ。

 昭和24年12月1日、初めてのお年玉付き年賀はがき1億8,000万枚が発売された。このときのお年玉くじの商品は、特等が高級ミシン(18本)、1等は純羊毛服生地(360本)、2等が学童用本革グローブ(1,440本)だ。商品の魅力もあり、この年のお年玉付き年賀はがきはほぼ完売! 翌年は2倍以上の4億枚が発売されたそうだ。林の長男であるみのるさんが回顧する。

「予想通り売れなかったら取りやめになるような危機感っていうのはあったみたいですよ。事実としては、家にたくさん空の年賀はがきがありましたからね。無理して買ってたんだと思いますよ」

 自爆営業していた林さん。まったく、無茶するものだ。というかこのVTR、12月中に放送しておけば年賀状の販売促進につながったかもしれないのに。ただ、ネットでタイムラグなしにやり取りできる今のような時代、やはり年賀状は役割を終えた感は否定できない。

 ちなみにチコちゃんによると、今回初めて顔出し出演した木村祐一は「やっと(オファーが)来たか~」と感慨を口にしていたそうだ。

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