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源頼朝の死の謎――『吾妻鏡』の抜け落ちは義時・政子が頼朝の遺志に反したから?

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

源頼朝の死の謎――『吾妻鏡』の抜け落ちは義時・政子が頼朝の遺志に反したから?の画像1
落馬直前の源頼朝(大泉洋)と安達盛長(野添義弘)|ドラマ公式サイトより

 『鎌倉殿の13人』第25回「天が望んだ男」は、笑いの要素を挟みながらも、全編が頼朝の死への“前フリ”のような回でした。結局、頼朝は病死という描かれ方になるようですね。脚本の三谷幸喜さんが「WEBザテレビジョン」のインタビューで「暗殺説もあるんですが、そうなるとそこに殺す側のドラマが生まれてしまう。そうではなく、あくまでも頼朝側のドラマとして完結させてあげたい」と明かしておられました。

 第25回では、すごく疲れた顔をしていたり、片足を引きずって動くなど、頼朝(大泉洋さん)にはおかしい点が目立ちました。これらも、後に頼朝が脳梗塞(と思われる病)の発作で落馬してしまうシーンへの“フラグ”だったのでしょう。落馬直後は「鎌倉殿!」と言っていた安達盛長(野添義弘さん)が、反応しない頼朝に「佐殿!」と叫ぶ演出は良かったです。頼朝に盛長の声は届いていたのでしょうか……。

 澄んだ鈴の音が鳴り響く演出もかなり意味深でした。北条政子(小池栄子さん)、畠山重忠(中川大志さん)、源頼家(金子大地さん)、和田義盛(横田栄司さん)、三浦義村(山本耕史さん)、大江広元(栗原英雄さん)、梶原景時(中村獅童さん)、比企能員(佐藤二朗さん)、りく(宮沢りえさん)たちが次々と、まるで天から降ってきたその音が聞こえたかのようなそぶりを見せましたが、彼らに続いて最後に映された義時(小栗旬さん)の場面では、音が鳴らなかったのです。

 この理由についてSNS上ではさまざまな考察が見られましたが、あの鈴の音は、脳卒中で倒れた頼朝にしか聞こえない音、つまり危険な耳鳴りだったのかもしれません。頼朝の意識が完全にブラックアウトする直前、これまで自分と関係があった人たちのことを彼が走馬灯的に思い出しているのが、例の鈴の音を聞く登場人物たちの映像であり、義時に鈴の音が聞こえなかったのは、その時、頼朝の意識がついに完全に途切れたからではないでしょうか。

 これが比較的妥当な解釈だとすれば、死を目前にした頼朝が、自分の死後の未来を知り、“天の声”ならぬ天から鳴り響く鈴の音で、後に北条義時と対立し、没落する運命にある者たちに警告のメッセージを発したのではないか、というようなことも考えてしまいました。だからこそ落馬シーンの前に、これまで直接的な絡みがなかった頼朝とりくが話すシーンがわざわざ設けられていたのかもしれません。

 さすがにこれは突飛な想像でしょうが、あの音が聞こえているかのような反応を見せたのは、畠山重忠からりくに至るまで、義時と抗争して破れる運命にある人がほとんどなのです。義時と対立した史実が確認できない北条政子などのケースも、『鎌倉殿』では、何らかの形で争い合うように描かれていくのかもしれません。

なぜか『吾妻鏡』から抜け落ちている頼朝の晩年

 さて、今回は「頼朝の死」というテーマを改めてお話しようと思います。次回(第26回)「悲しむ前に」の予告映像では、比企能員が「鎌倉殿が死ぬぞ……」と言っていました。次回は死に向かう頼朝の姿と、混乱する鎌倉の様子が描かれると想像されます。

 しかし、この連載でも何度も触れていることですが、鎌倉幕府の公式史である『吾妻鏡』に頼朝の死についての具体的な情報はなぜか見当たりません。頼朝だけでなく、2代将軍・頼家、3代将軍・実朝の治世末期……つまり彼らの死の前後の『吾妻鏡』の記述は、すべて曖昧になりがちという指摘もあるのですが、頼朝の場合は、最晩年にあたる建久7~9年(1196~8年)の記述がほぼ欠落しているという異常事態となっているのです。つまり、大姫の死(建久8年)などについても『吾妻鏡』では記述がないということですね。そしてこの約3年分の欠記のあとに記されているのは、正治元年(1199年)初頭、頼朝の嫡男・頼家が家督を相続するという話なのです。

 『吾妻鏡』が頼朝の死について触れているのは、彼が亡くなってから約13年後の建暦2年(1212年)2月になってからです。当該箇所を要約すると、建久9年(1198年)12月27日、稲毛重成(ドラマでは村上誠基さん)という御家人が、亡き妻の供養として相模川に橋をかけたので、当時の言葉で「橋供養」と呼ばれる落成式に、頼朝も参加することになりました。頼朝は“北条家の婿”です。稲毛重成も北条時政の娘(ドラマでは「あき」という女性)を妻にしていましたから、そういう縁故があって橋供養に頼朝が呼ばれたのでしょう。しかし、頼朝は帰り道に落馬し、しばらく寝付いた後、翌1月13日に亡くなったというのです。落馬まではまさにドラマ第25回で描かれた内容ですね。(1/2 P2はこちら

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