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『鎌倉殿』畠山重忠は時政の怒りを買ってハメられた? 「忠義一徹の男」の悲しい最期

畠山重忠は時政の怒りを買った我が子の失態の責任を取らされた?

『鎌倉殿』畠山重忠は時政の怒りを買ってハメられた? 「忠義一徹の男」の悲しい最期の画像2
畠山重忠(中川大志)|ドラマ公式サイトより

 ドラマ第34回では、時政とりくの間に生まれた政範(中川翼さん)が京都に到着した直後、急病で亡くなったという信じられない知らせが鎌倉に届くシーンがありました。史実では政範が亡くなる前日に、一行が無事、京都に到着したことを祝う宴が平賀朝雅によって開かれ、この場において、鎌倉からきた畠山重忠の嫡男・重保と平賀の間に深刻な口論が生じたといいます。次回のドラマではこの重保(杉田雷麟さん)も登場し、予告には酒宴の場らしきシーンもあったので、何らかの形でこの「前日」も描かれることになりそうです。

 この平賀と重保の口論の原因、内容はよくわかりません。興味深いことに、史実では時政も政範に同行していたという一次資料があり(『仲資王記』)、なぜかその事実を『吾妻鏡』が“隠蔽”し、政範一人で京都に行ったと記述した部分に、これらの一連の事件を解釈する大きなカギがありそうです。

 以下は筆者の推論ですが、京都で重保は北条時政の娘婿である平賀朝雅と口論になり、これが鎌倉の権力者である時政の怒りを買ってしまったことで、“子の罪は親の罪”という当時よくあった連座意識によって、畠山重忠は子・重保の失態の責任を取らされることになった……そういう構図が重忠が討たれることになった事件のウラには隠されているような気がするのです。

 ドラマにおいて政範の急死は、源仲章(生田斗真さん)にそそのかされた平賀朝雅(山中崇さん)による暗殺事件であったかのように匂わせた描写がありました。本当のところは、実子の突然の死を受け入れられなかった時政が、何らかの理由で八つ当たり的に畠山家の重保とその父・重忠を猛烈に憎むようになったのかもしれません。

 もし、それがその通りであったとするなら、「畠山重忠の乱」は時政の人格・対応に問題があったがゆえに起きてしまった事件ということになるのですが、『吾妻鏡』は北条家礼賛の書ですから、北条時政ではなく、その妻である牧の方ひとりに責任をなすりつけたのでしょう。まぁ、このあたりの情報は限定されているため、これ以上は推理してみても致し方ありません。牧の方の悪巧みによって、人望の厚かった畠山重忠の謀反がでっちあげられたところにまでお話を戻しましょう。

 ドラマの予告映像では、義時が「次郎(=畠山重忠)は忠義一徹の男」と言う場面がありましたが、これは『吾妻鏡』の内容を踏まえたセリフでしょう。重忠の討伐が計画されていると知った義時は、彼が謀反を起こすわけがないと強く反対したのです。討伐軍を送るのは「犯否(ぼんぷ)の真偽を糺(ただ)すの後にその沙汰あるも停滞すべからざらんか(『吾妻鑑』元久2年6月21日条)」……重忠に謀反の意思があったかを確かめてからでも遅くはないのでは、と義時は主張しましたが、しかし執権である時政の出兵命令は絶対であり、逆らえませんでした。

 翌日、鎌倉を出発した義時の軍は、武蔵国二俣川(現在の神奈川県横浜市)にて重忠の軍と向かい合うことになります。しかし、畠山軍はわずか134騎。本当に重忠が幕府に謀反を企てていたのであれば、こんな少数であるはずがありません。それでも義時は開戦も止められず、畠山軍はあっけなく全滅してしまったのでした。重忠は、親戚縁者を集めることもなく(それゆえに彼以外の畠山一族はその後も権力を保ち続けることができたのですが)、時政のえげつないやり方に無言の反抗の意を示しながら死んでいったとも考えられます。

 重忠は義時の親戚縁者であり、史実でも親しい友人の間柄でした。『吾妻鏡』には、重忠が讒言で殺されたことについて義時が「はなはだもって不便(ふびん=不憫)」と、時政と牧の方に不満をぶつけた記録が残っています。あまり感情をあらわにしない義時には珍しく、「(畠山の)首を斬りて陣頭に持ち来る」時、「これ(=首)を見るに、年来合眼の睦みを忘れず、悲涙禁じがたし」……私は討ち取った重忠の首を吊るして見せながら軍を率いて鎌倉に戻ったが、これが長年仲良くしてきた彼の末路だと思うと悲しくて涙が止まらなかった……と凄まじい感情を爆発させているのです。

 ドラマでの時政・義時親子は、言いたいことが言い合えるという意味で対等な存在に描かれてはいますが、史実の義時は生前「北条義時」ではなく、北条家の庶子が継ぐ庶家の当主の「江間小四郎」として呼ばれるほうが多く、これは北条本家の当主である時政に対し、庶家の義時が大きな口を聞ける立場ではなかったことを意味しています。にもかかわらず、これだけ義時が激怒した記録があるのは異例といえるでしょう。

 その後、「討たれた畠山重忠は謀反など企ててはいなかった」という真実が鎌倉の御家人たちの間に知れ渡ると、それは畠山討伐の指示を出した北条時政(と牧の方)の立場を危うくし、義時は御家人たちの不満を北条家から逸らすため、時政夫妻を鎌倉から追放しなくてはならなくなるのでした。

 まぁ、これもシビアな見方をするのであれば、すでに父・時政以上の実力を蓄えつつあった義時は、牧の方との間にもうけた実子を失って錯乱してしまった時政が畠山重忠に八つ当たりに近い感情を抱き、重忠討伐という理不尽な命令をしてきたことに対してあえて乗っかってみせることで、時政の勢力を鎌倉から追い出す大義名分を得て、これに成功した(けれど、親友の重忠は失った)……と、裏で義時の打算が働いていたとも考えられなくはないのですが。いずれにせよ「畠山重忠の乱」は、規模こそ小さな内乱ではあったものの、北条という家全体に大きな亀裂をもたらしてしまう深刻な事件となったのでした。

<過去記事はコチラ>

堀江宏樹(作家/歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『隠されていた不都合な世界史』(三笠書房)。

Twitter:@horiehiroki

ほりえひろき

最終更新:2023/02/21 12:28
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