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深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.296

トキワ荘とは異なる、もうひとつの“まんが道”! 劇画を考案した辰巳ヨシヒロの自伝『TATSUMI』

tatsumi1114_01.jpg子ども向けだった漫画を、大人が楽しめる劇画へと押し進めた辰巳ヨシヒロの半生を描いた『TATSUMI』。彼の功績は海外で高く評価されている。

 ずっと疑問に思っていたことがある。なぜ、トキワ荘というアパートに藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫ら天才漫画家たちが集中して現われたのかということだ。“漫画の神様”手塚治虫を慕って、手塚がかつて暮らしていた椎名町のアパートに若き才能が集まったという説明だけでは納得できないものを感じていた。劇場アニメーション『TATSUMI マンガに革命を起こした男』とその原作となった辰巳ヨシヒロの自伝的コミック『劇画漂流』に触れることで、長年の謎がようやく氷解した。トキワ荘以外にも才能と情熱に溢れた若き漫画家たちは大勢おり、各地に群雄割拠していたのだ。だが、漫画産業が巨大化していく中で、最後まで生き残ったのがトキワ荘のメンバーだったということなのだ。シンガポールを拠点に活動するエリック・クー監督の手による『TATSUMI』は、“劇画”を考案した漫画家・辰巳ヨシヒロの半生をアニメーションとして描くことで、トキワ荘とは異なる漫画の歴史、そして日本の戦後文化史をひも解いていく。

 辰巳ヨシヒロは1935年大阪府生まれ。兄・桜井昌一の影響で漫画に熱中し、雑誌『漫画少年』の読者投稿コーナーの常連となっていく。中学時代には宝塚市で暮らしていた手塚治虫の自宅を訪問するなど、“漫画の神様”と早くから交流していた。高校卒業後、大阪の貸本業界を中心にプロの漫画家としてキャリアを築いていく辰巳は、次第に大人向けのシリアスな画風や題材を描くことに傾倒する。キャラクターの内面に生々しく迫った辰巳の作品は、笑いをベースにした従来の子ども向け漫画とは明らかに異なるものだった。1958年に辰巳は上京。同じ関西出身のさいとう・たかを、佐藤まさあき、松本正彦らと国分寺に住み、「劇画工房」を名乗る。劇画というネーミングを考えた辰巳のこの“劇画宣言”は、誰もが楽しめる“漫画”であることにこだわり続けた“神様”手塚治虫との決別でもあった。関西で絶大な人気を誇った漫画誌『影』の新鋭作家たちが名前を連ねた「劇画工房」だったが、会社組織ではなく、あくまでも同人の集まりだったために足並みが合わず、あっけなく瓦解してしまう。少年漫画を中心にしたトキワ荘のメンバーがテレビアニメーションやキャラクタービジネスと融合してメジャー化していくのに対し、「劇画工房」参加者たちの多くは時代の波に呑まれ、漫画家からの転職や廃業に追い込まれていった。

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