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息を引き取ってから始まった、週刊誌で語り継がれる美空ひばり伝説

 1989年6月24日、午前0時28分。

 美空ひばりは息を引き取った。52歳だった。その夜のことは鮮明に覚えている。筆者は新宿の小料理屋で宴会をしていた。6月4日に起きた中国天安門事件の取材に行っていた各誌のカメラマンを慰労する会だった。カメラマン・記者ら8人ほどが天安門騒動の取材合戦の裏話で盛り上がっていた。午前2時過ぎだった。当時の連絡手段だった各記者のポケベルが間髪をあけず鳴った。「美空ひばりが亡くなった」と編集部からの連絡に全員、酔いは覚め、外に飛び出した。和気あいあいだった宴会から一転、お互いがライバルに変わる。ひばりが入院していた御茶ノ水の順天堂大学病院か、遺体が運び込まれる目黒青葉台のひばり宅か、どちらに行くのが良いか咄嗟の判断に委ねられる。

「こんな夜中に病院行ってもなにも撮れないだろう。自宅なら運ばれてくる棺が撮れる」が無難な判断。だが、著者は1人のカメラマンを病院に向かわせた。棺とはすれ違いだったが、病院内で右往左往する髪を振り乱した岸本加世子を撮った。一方の青葉台。我々が着いたのは4時頃だった。なんとすでに門の前で立っている人がすでにいた。着流しの男性。報道陣ではない。男はひばりさんが常連だった高級ゲイバーのママ。さすがに夜の商売人は早い。やがて棺が到着。夜が明けるに従い続々と著名人が家に入っていった。集まる報道陣の中には酔っていて足元がおぼつかない人もいた。芸能人が亡くなった日にこれほどの人が集まったケースは後にも先にもひばりしかいない。後日行われた青山斎場にはファンも含め4万2千人の弔問客がきた。

 筆者が週刊誌の世界に入った時、ひばりはすでに歌謡界の大スターで、手の届かない別格の人だった。とても筆者の出番などないはずが、出番は偶然やってきた。87年、ひばりが福岡の病院に入院していたときだった。「慢性肝炎」が公式発表だったが、長い入院に重体説が流れていた。別件で福岡にいたためにひばりが入院する済生会福岡総合病院の取材に回された。今はお見舞いでも病院に入るのにはチェックが厳しいが、昔は「お見舞い客」のような顔をして入れば、病室近くまで行けた。疑われないためには「花束でも持て」と言われたものの、なんなくひばりがいる特別個室の前まで行けた。廊下にあった長椅子に座り隣の病室を見舞いにきたような顔で出入りをチェックした。

 そして「時々、病室を出て廊下を歩いていることもある」との情報から、出くわすタイミングを待った。直撃とはいえ、相手は病人。無茶はできない。せめて「隠し撮り」をと考えていた。当時、記者が持っていたのは、押すだけで取れる簡単カメラ。外が薄暗くなってきた夕方だった。扉が開き、付添い人らしき人が出てきた。バッグにカメラを隠し、シャッターを切った。その瞬間だった。フラッシュが光った。当時のカメラは暗くなると自動的にフラッシュが光る装置がついていた。普通に使えばこれほど便利なものはないが、隠し撮りには不都合。事前に装置を切っておけばよかったのだが、後の祭り。その人は立ち止まり、こちらに近づいてきた。やはり、付き添い人だった。事情を説明して謝罪、即座に病院から追い出された。大失敗を経験した初のひばり取材。これがきっかけでひばりの死後、本格的なひばり伝説の取材が始まった。

(敬称略)

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

最終更新:2017/06/25 20:00
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