日刊サイゾー トップ > カルチャー  > <追悼>山本美香さんが伝えたかった思いとは?『戦争を取材する』

<追悼>山本美香さんが伝えたかった思いとは?『戦争を取材する』

 父親はそう言って、目を赤くして泣いた。山本さんはその姿をビデオカメラで撮影しながら、自問していた。どうしたら彼らを助けることができるのか、と。

 ところがそのとき、父親は泣きながらこんなことを言った。

「こんな遠くまで来てくれてありがとう。世界中のだれも私たちのことなど知らないと思っていた。忘れられていると思っていた」

 ありがとう、ありがとう、と言って、彼は涙を流した。

 この瞬間、山本さんの悩みは吹き飛んだ。衝撃的だった。たったいま目撃した出来事を、世界中の人に知らせなければならない。やらなければならないことは山ほどある。強い使命感を持ち、ジャーナリストという仕事に全力を注いでいく決意が固まったのだった。

 本書では、山本さんが出会った戦地で暮らす子どもたちの壮絶な体験が、写真と共にまとめられている。地雷で脚をなくした少年、ゲリラに誘拐され、無理やり兵士にさせられた少年、学校の教室にやってきたゲリラの襲撃による友達の死……。

 どの話も、日本では考えられないような残忍な出来事ばかりで、子どもたちとの距離をゆっくりと時間をかけて縮めてからでないと、話してもらえないような内容ばかりだ。日本にいてはわからない、実際に訪れ、見て、話を聞いた者にしかわからない、山本さんが“伝えたかったこと”が詰め込まれている。

 本の最後には、こう書かれている。

「世界は戦争ばかり、と悲観している時間はありません。
 この瞬間にもまたひとつ、またふたつ……大切な命がうばわれているかもしれない――目をつぶってそんなことを想像してみてください。
 さあ、みんなの出番です」

 彼女が残したメッセージに対し、私たち何ができるだろうか?
(文=上浦未来)

●やまもと・みか
1967年生まれ。山梨県出身。都留文科大学を卒業後、朝日ニュースターの報道記者、ディレクターとしてニュース、ドキュメンタリーを制作。1996年からジャパンプレスに所属し、世界の紛争地を取材している。2001年のアメリカ同時多発テロ事件後は、対テロ戦争の攻撃を受けたアフガニスタンで長期取材を続けた。2003年、空爆下のイラク戦争報道で、ボーン・上田記念国際記者賞特別賞を受賞。著書に『中継されなかったバグダッド』(小学館)、『ぼくの村は戦場だった』(マガジンハウス)がある。

最終更新:2012/09/12 21:00
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