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甲子園春夏通算96勝、全国制覇7回

まん延する暴力、信者の減少、教祖の方針転換……甲子園常連「PL学園野球部」はなぜ消滅したのか?

 また、PL教団や学校側が置かれた状況も、野球部を追い込んでいく一因となった。最盛期には公称250万人以上だった信者数は、90万人にまで減少。実質的には、おそらく数万人程度であるといわれている。信者数が減少することによって、教団側は財政的にも追い込まれ、教団から学園に対する寄付が停止。有望な人材を全国から集めることも難しくなってしまった。また、野球部のみならず、かつて大阪一といわれた「教祖祭PL花火芸術」もその規模を縮小しており、全国に400あった教会も半数以下にまで統廃合が進む。1,000人以上が学んだPL学園も、今や、全校生徒数188人にまで減少しているのだ。この人数では、名物だった人文字も作れないだろう。

 そして、そんな状況に追い打ちをかけるのが、教団上層部の権力関係だ。

 2代目・徳近は教育、芸術、スポーツなどに力を入れ、それが布教活動の一端を担っていた。しかし、3代目・貴日止(たかひと)の時代になると、PLランド(大阪府富田林市あった遊園地。PL教団の敷地内に建設され、同教団のベンチャー企業である光丘が経営していた)が閉園され、定時制高校が廃止、花火も規模を縮小していくなど、徳近の敷いた路線から、徐々に離れていく。そして、貴日止が07年に硬膜下出血で倒れると、発言権を増したのが、その妻である美智代だ。彼女は教団や学園の財政難を理由に、独断で野球部の新入部員募集を停止した。

 暴力の伝統を引きずる野球部、逼迫する教団の台所事情、そして、教団上層部の方針転換……と、さまざまな事情が重なり、野球部は休部に追い込まれていった。本書の中で、柳川は「はっきりとした『悪者』を見つけるのは難しい」と語り、「明確な悪意も悪者もないのに、組織が崩壊に向かった」と、その経緯を分析している。

 16年夏、新入部員の募集も停止され、わずか12人にまで減少した野球部員たちは「史上最弱のPL」と揶揄されながらも、夏の大阪大会に出場。名門・東大阪大柏原と戦い、善戦を果たすも6対7で敗れ、60年の伝統は幕を閉じた。1,000人に達するOBたちは、野球部存続に向けた嘆願を行っているものの、現実的には再開は難しいだろう。いまや、常勝軍団・PL学園の姿は、高校野球ファンの記憶の中に刻まれるのみとなってしまったのだ。
(文=萩原雄太【かもめマシーン】)

最終更新:2017/04/03 21:00
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