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【wezzy】

ひとり歩きする「LGBT」という言葉 記号としての人間はいないことを認識してほしい

 先日、『バイキング』(フジテレビ系)で司会の坂上忍がこんな発言をしていた。

 「LGBTの問題はいまテレビでもデリケートで全然言えない。IKKOさんが言っていいことを僕は言っちゃいけないとか。よくわからない。オープンにした方がいいんじゃないのって思っちゃうんだけど、無責任?」(IKKO「男性同士の性的暴行は興奮したら犯罪ではない」。芸能人井戸端会議番組と化している『バイキング』)

 様々な話題を扱う情報番組の司会者が「よくわからない」と自身の勉強不足を開き直るかのような発言をしていることには驚きを禁じ得ないのだが、一方で「LGBT」という言葉が当たり前に使われるようになり、「LGBTの問題」について意見したいという人が出てきていることに、ここ数年の変化を改めて実感した。

 wezzyでも取り上げている「保毛尾田保毛男」騒動、youtuberのホモフォビックな企画、20年前に行われたゲイ差別および男性への性暴力を軽んじるロケなどは、おそらく数年前に取り上げても、それほど注目を浴びなかったはずだ。

 一方で「LGBT」という言葉がひとり歩きしてしまっているのではないか、という懸念もある。

 例えばNHK首都圏が、2015年に起きた一橋大学アウティング事件を報じる際に「LGBT男性自殺で大学を提訴」というタイトルの記事を掲載したことがあった(該当記事はすでに削除されている)。メディアでは性的マイノリティの総称として使われることも多い「LGBT」だが、L:レズビアン、G:ゲイ、B:バイセクシュアル、T:トランスジェンダーをまとめた言葉だ。各所の報道から推測するに、亡くなられた男性はゲイ、あるいはバイセクシュアルであって、レズビアン、トランスジェンダーではない。トランスジェンダーでゲイ、トランスジェンダーでレズビアンはいるが、レズビアンで、ゲイで、バイセクシュアルで、トランスジェンダーの男性は、おそらくありえないだろう。

 NHK首都圏に限らず、こうした見出しをつけた記事は、ときおり見られるものだ。他にも、ゲイやレズビアンを「同性を好む人」と小慣れない日本語で表現する記事もある。おそらくメディア側が「LGBT」の意味を正確に理解していなかったり(トランスジェンダーを「トランスジェンダー、つまり性同一性障害」と間違った解説するメディアもある)、ゲイやバイセクシュアルという言葉を見出しや記事に使用することが避けていたりするのだろう。「LGBT」の認知度はあがっても、理解度は十分でないのが現状だ。

 こうした指摘は別に目新しいものではない。例にあげたNHK首都圏の記事タイトルに対しては、上述のような指摘・批判があったし、それぞれ抱えている困難のことなるL/G/B/Tを十把一絡げにしてしまうことや「LGBT」という言葉がひとり歩きすることへの懸念は、これまでも出続けてきた。

 なぜいまさら改めてこのような指摘をするのかといえば、つい最近、おそらく「LGBT」への理解を促したい、という善意から作られたと思われるとある漫画を読み、たいへんな違和感を覚えたからだ。

 それは、今年10月に秋田書店から出版された『見えない子どもたち~LGBTと向き合う親子~』(作・河崎芽衣)という漫画だ。帯には、タレントのはるな愛推薦と書かれ、「一度きりの人生だから、自分には嘘をつきたくない。しっくりくる性別で生きていたい。ただそれだけなのに…」と書かれている。

「私と同じならGだよ」
 この漫画本には「見えない子どもたち」「虹色レボリューション~見えない子どもたちvol.2~」「見えない子どもたちvol3~Over the Rainbow~」という3つの作品が収録されている(初出はすべて『フォアミセス』秋田書店)。それぞれ、トランスジェンダーの子どもたちが登場し、子どもたちや親の葛藤、理解を示さない周囲との苦悩が描かれている。最終的には、子どもや理解者らの努力によって、徐々に周囲の人間も理解を示していく、という構成が基本となっている。

 作品は「LGBT」への偏見や差別を解消し、正しい理解を促していく、いわゆる学習漫画のジャンルに当てはまるものだろう。そうした狙いに異存はない。どこかご都合主義的な話の展開も、学習漫画であるのだからことさらに批判したくなるようなものではない。問題は、肝心の「LGBT」描写だ。

 例えばこんなシーンがある。

 小学生の男の子が同級生に「気持ち悪い」「ヘンタイ」といじめられている。主人公のトワ(トランスジェンダー)が助けに行くと、いじめられていた男の子は「僕は頭がおかしいから仕方ない」「好きになる子 みんな男の子なんだ」と話す。それをきいたトワは、LGBTの子どもたちがよく遊びにくる自分の家に男の子を誘う。すると子どもたちが男の子にこう言う。

「あなたもLGBT? それともアライ?」

「私と同じならLBGTのGだよ。私は女の子だからビアンとも言うの」

「ぼくはトワと同じT」

 このリアリティのなさはなんだろう。まるでGという人間や、Tという人間がいるかのように思わせるセリフだ。「LGBT男性」ならぬ「G人間」「T人間」という表記がおかしいことはもはや説明不要だろう。このような話し方をする人が(しかも子ども)、多数だとは到底思えない。

 あるいはこんなセリフもあった。就職活動をやめて小学校の先生を目指すことを決めたトワと、友人・みず穂との会話だ。

「(応援するからね、というみず穂に)みず穂は頼もしいアライだね」

「違うよ! 私は筋金入りのトワのアライだからね!」

 友人同士の会話で、友人を応援する際に、「アライ」という言葉をわざわざ使わないはずだ。「友達だからね」で事足りる。それとも「(トランスジェンダーのトワだから)応援する」という意味で「アライ」を使ったのかもしれない。それならそれでやはり、学習漫画としての出来がいいとは言えない。トワはトランスジェンダーだから、ということは関係なしに応援してほしいと思うんじゃないだろうか。

 なおもう一点付け加えると、漫画の中で「性自認と性的志向は違う」というセリフがあったが、正しくは「性的指向」だろう。

出発点は「LGBT」ではない
 こうしたセリフの違和感と、ひとり歩きする「LGBT」という言葉には、共通点があると思う。それは、L/G/B/T、そしてあらゆる性的マイノリティを「LGBT」という記号で捉えているのではないだろうか?

 いうまでもなく「LGBT」と称される人たちは、生身の人間だ。ひとりひとりに異なる葛藤や苦悩があり、それぞれが違った趣味趣向をもって生きている。それを「LGBT」とひとまずまとめられるのは、性的マイノリティであるという共通点があり、社会の中に偏見や差別が存在するからだ。決して「LGBT人間」として生きているのではない。

 性のあり方を考える際、「LGBT」という記号を出発点にしてはいけない。そのことに気をつければ、きっと、次第に「LGBTの問題はデリケートで言えない。よくわからない。オープンにしたい方がいい」といったセリフを吐くことはなくなるだろう。

 前述の通り、今回取り上げた漫画は決して悪意から作られたものではないと思う。あまりも数多くの問題あるコンテンツや報道がなされる中で、この作品をことさらやり玉に挙げるつもりもない。だが「LGBT」という言葉の認知が高まっている今、私たちに必要なことは、より地に足の着いた、きめ細かな議論であり、それを伝えるコンテンツであるはずだ。
(wezzy編集部)

最終更新:2017/11/13 07:15
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