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【五所純子/ドラッグ・フェミニズム】ラッパー・なかむらみなみが抱く麻薬で壊れた母の肖像(前編)

――覚醒剤、コカイン、大麻、向精神薬……クスリに溺れる女たちを嗤うのはたやすい。だが、彼女らの声に耳を澄ませば、セックスやジェンダーをめぐる社会の歪みが見えてくる。これは、文筆家・五所純子による“女とドラッグ”のルポであり、まったく新しい女性論である。

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神奈川県藤沢市の辻堂をレペゼンするなかむらみなみ。母が逮捕されたという引地川沿いを案内してくれた。(写真/草野庸子)

「川にすべての記憶がつながってる」

 神奈川県藤沢市、引地川に沿って歩く。上流の山寄りの町で、人が埋められた景色を見た。母が逮捕されたのは、河口にほど近い平坦な道だった。家から逃げて歩いたのも、路上生活のあてを探したのも、この川に沿った。何度となく川を行ったり来たりした。

「川が好き。線路も好き。ずっと向こうの知らないところまで続いてるから、どこかへ行ける気がして」

 流れるから川はいい。ねえ誰か、私をどこかへ連れてって。海のほうから潮風が吹きつける。きゃらきゃらと笑いながら彼女は顔を襟にうずめる。

 なかむらみなみがTENG GANG STARRというラップ・ユニットでデビューしたのは2015年。デビュー曲「NO MERCY」で、みなみは自身の経験をもとにしたリリックを歌った。

「私のママは元プッシャー タクシー蹴飛ばすクラッシャー ママは男つくって4回目にしてダルクに搬送」

 みなみの母は現在、薬物など依存症の回復支援施設に入所している。母と娘はこの10年ほど会っていない。

「お母さんのこと大好きです。明るいところ、強いところ、友達が多いところ、自由なところが好き。あと、オムライスがめちゃくちゃ美味しい。ただ、これは母が依存症になる前の話です」

 みなみの母・典子は、芥川賞作家の父と美術教師の母のもとに生まれた。辻堂にある典子の家では数世帯の親戚が集まって暮らし、典子は親戚じゅうから将来を期待されていた。しかし一転、典子は孤立する。高校で大麻を売ったことが発覚したのだ。職員室に呼び出された典子は、教員である母の前で疑惑を追及された。母は娘が反抗する様子を同僚たちの前で突きつけられた。この醜聞に親戚たちは恥じ入った。そして典子を恥の塊のように遠ざけた。

 典子と一也が恋をする。出会った場所は辻堂海岸のすぐそばにある、おでんセンター。若者たちの溜まり場だった。ふたりとも走り屋のチームに属し、海辺の子らしくサーフィンに親しんでいた。娘が生まれると海にちなんだ名前をつけた。

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辻堂駅から車で10分ほど南下すると、相模湾に面した砂浜が現れる。(写真/草野庸子)

「私、本名は美波なんです。でもまったく泳げないんですよ。自己紹介でこれ言うと笑ってもらえるんですよね」

 結婚して実家を出て、典子がみなみを産んだのは20歳のとき。2年後に息子を産み、まもなく離婚。夫婦で栽培した大麻は、きれいさっぱり片付けた。典子は2人の子どもを抱え、辻堂よりも山寄りの町にアパートを借りる。

「私が小学校に入るまで、3人で転々としました。アパートに住めてたのはいいほうで、お金がなくなると車中泊です。子どもって普通、夜が朝に変わる瞬間を見たことないですよね。朝日が上がってから家でゆっくり目覚めるじゃないですか。私は車の中から毎日朝焼けを見てて、その空の様子を保育園で喋ったら同級生に不思議そうな顔をされてびっくりした。その頃住んでたのは夜の店がいっぱいある町で、治安もあまりよくなかったかな」

母にやらされた酒と煙草と薬

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なかむらみなみが幼い頃、母はキャバクラで働き、薬物売買にも手を染めた。(写真/草野庸子)

 典子は昼の仕事を終えると、夜は娘と息子を連れてキャバクラに出勤する。子どもたちを更衣室に座らせれば、同僚たちがかわるがわる遊んでくれた。酒に強い典子は客に酔い潰されることがなく、典子自身もそれが誇りだった。キャバクラの上階にはホストクラブが、そのまた上階にはニューハーフバーがあり、すべて系列店だったせいか、店の垣根を越えてみんなが子どもに優しい。恋人のホストは保育園の迎えを手伝ってくれたし、店長は大理石のフロアで子どもを遊ばせ、トイレットペーパーの先端を三角に折るママゴトを子どもにあたえてくれた。

「ある夜、系列店の元締めみたいな男の人が来て、店から家への送迎車に全員乗せられました。車は山道に入っていって、着いた先で、ぼこぼこに歪んだ顔が地面から突き出てました。店長さんが縦に埋められてたんです。助けに行ったのか見せしめだったのかわかんないですけど、翌日には店長が替わってましたね。ちょうど昨日『アウトレイジ 最終章』を観て、同じようなシーンがあったから驚きました。でも、あんなきれいに埋められないですよ。人が手で掘った穴はもっとでこぼこしてる。『店長さん、どうなったの?』ってキャバ嬢たちに訊いても、『ねえ、どうしたんだろうね』とか『そんな人いたっけ』とかとぼけられちゃって。でもお母さんは、テーブルで誰かがコップを割ったりしたら『おい、首まで埋められっぞ!』とかふざけて言うんですよ。私はおかしくて笑ってましたけど、周りは凍りついてましたね。母は私と同じでお調子者なんです」

 店の元締めは、薬物取引の元締めでもあって、典子は売買に精を出す。家があろうとなかろうと、薬を売るのは車の中と決めていた。お気に入りのピンクのMRワゴンは、ブルーの好きな母に反発して選んだものだ。車だけじゃない、家も服も何もかも典子はピンクを選んだ。自分は運転席に、客は助手席に座らせる。ときには後部座席に子どもを座らせたまま、客を出迎えた。わきまえのない客が来て、助手席から手を伸ばして乳房を触ろうとする。そんなときは遠慮なく罵声を浴びせて殴ってやった。「ウチをナメんな」という言葉がきまって口から出た。軽んじられることだけは耐えられなかった。

「家の電話の横にカラフルな錠剤がいっぱいあって、ラムネみたいでかわいかったんですよね。『元気が出るおくすりだよ』って母から言われてました。今思うと、たぶんモーリー(MDMA)ですね。それが悪いものだってわかってなかったから、私は保育園でべらべら喋っちゃって、お母さんからめっちゃ怒られたりしました。でもお母さん、そんなに悪い気はしなかったんじゃないかな。

 今で言うバカッターですけど、お母さんは私に酒を飲ませたり煙草を吸わせたりして、それをケータイで写真に撮って友達に見せびらかしてました。薬もありましたね。母はすごく楽しそうで、私も楽しかったんですよ。わあい、お母さんと一緒に遊んでる、いえーい! って感じで。母が薬と酒と煙草をやらせるのは私だけで、弟にはやらせませんでした。弟は生まれたときに肺炎をこじらせて、片方の肺を切除してるんです。だから無茶させなかったんでしょうけど、私だけ特別に愛されてる気がしてうれしかった。小さい頃から金髪にしてくれて、ド派手な服を着せてくれて。私は他の子たちとは違う特別な人間なんだ。そう信じてこれたのは、母のおかげです」

 女の子はかわいい。この子にはウチのできなかったことを思いきりさせてやる。好きなことをめいっぱいやらせれば、この子はきっと何かを見つける。ウチだって本当は何かを見つけられたはずだ。男の子はわからない。かわいがり方がわからない。この子はウチがいなくてもうまくやる。そんな気がする。夫婦で大麻を育てたのも、一人で薬を売りだしたのも、もともとこの子の医療費を稼ぐためだった。他に恋人つくって別れたのはおたがいさまだけど、離婚したとたん無責任に放り出しやがって。少しは金持ってこい。誰かウチを最後まで愛してみろ。どいつもこいつも馬鹿のひとつおぼえみたいに通り過ぎやがって。なんだこれ。

よみうりランドで遊んだ“知らない人”との日曜日

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冬の冷たい潮風が吹きつける辻堂海浜公園で、母との思い出を振り返るなかむらみなみ。(写真/草野庸子)

「保育園の頃からわりと長く住んだ2DKのアパートがあって、お母さんの部屋と子ども部屋で分かれてました。お母さんには決まった恋人がいたけど、そうじゃない男の人がよくお母さんの部屋に来てました。体を売ってたんですよね。数えきれないくらい来てたし、いつものことだったから、その頃はなんとも思いませんでした。

 日曜日になるとときどき、お母さんから『今からよみうりランドに遊びに行ってきな』って言われました。知らない人が家に迎えに来て、電車を乗り継いで。「入場するときは“お父さん”って言うんだよ」とか「『この人は誰ですか』って訊かれたら“お母さん”って答えるんだよ」って念を押されてました。そんな場面なかったですけどね。ただ、ジェットコースターって身長制限があるじゃないですか。職員から『お父さん、お子さんの身長は何センチですか』って訊かれて、一緒に行ってたおじさんが答えられなくて、気まずかったです。手をつないでアトラクションをまわって、アイスとか買ってもらって、楽しかったですよ。でも、しつこく頬っぺた触られたり抱っこされたりして、ちょっと気持ち悪かったです。また電車に乗って家に帰って、子ども部屋で一緒に寝ることもありました。お母さんは外出してるか、隣の部屋にいました。どの人も1回きりで、2度と会うことなかったです。

 後になって、学校で“知らない人にはついていかない”と習ったときに、急に怖くなりました。それが危ないことだって、私は知らなかったんです。母は平気で私を“知らない人”に渡して、一日じゅう遠くを連れ歩かせて、あれはなんだったんだろうって。そのへんの人をシッターがわりにしたのか、養子にでも出すつもりだったのか、新手のビジネスでもやろうとしたのか……いろいろ考えてみたけど、謎です。大人への不信感と、身体的な接触への不快感がこみあげてきました。お母さんが嫌いになりました」

 お前らにわかってたまるかよ。酒に強く、飲んだ直後でも猛スピードで正確に車を転がしていた典子が、一杯の酒でろれつが回らなくなり、誰かれかまわず喧嘩腰で歯向かうようになった。もう酒だけじゃなかった。酒をぐいぐい飲み、薬をがんがん食い、男にどんどん溺れた。いや、調子のいいときは料理だってしてみせる。オムライスに歓声を上げる子どもたちの顔だって、うれしい。この子たちさえいればウチは満足だとすら思う。でも、なぜかいきなり調子が崩れる。くやしい。恋人の甘い言葉にまみれて、腹を空かせた子どもには気づかないふりして、何もかも忘れきって、部屋に引き籠もりたい。いくら部屋を分けたところで、子どもの声が頭に刺さってくる。手近にあった洗濯カゴを子どもたちに向けて投げる。素早くよけた子どもの頭上をかすめ、洗濯カゴはテレビに命中して画面を割り砕く。さっき男と買ってきたばかりの最新型の亀山モデルだ。こんなことばかりだ。みんなウチをナメやがって。

「気づいたら、カッコいいお母さんが消えてました。みるみる痩せて変わっていった。なんか老化とは違って、体は萎んでるのに妙なエネルギーが暴発しまくる感じで。これは違うなって、子どもながらに思いました」

 娘が小学校に入学して、典子は辻堂の実家に近いアパートに移り住んだ。もう家に帰る気が失せていた。恋人の家に入り浸り、家にいてもほとんど自室から出ない。典子の留守に気づかれたか、大きすぎる物音を訝られたか、隣人がしょっちゅう通報し、週に1度は警察や児童相談所がやってくる。そのたびに実家から母がやってきて、ウチから娘を引き剥がそうとする。手放してたまるかよ。腕をもぎとろうとしたら娘が泣き叫んだ。息子の姿はない。息子は夜のうちに実家に電話して、ひとりで避難したそうだ。窓から逃げたってお姫様かよ。でも、それもそうだ。ウチは娘に手を上げることはなかったが、息子のことはよく殴った。たぶんもう限界なんだと思う。

(つづく)

※なかむらみなみさんを除き、人物の名称はすべて仮名です。

(写真/草野庸子)

五所純子(ごしょ・じゅんこ)
1979年生まれ。文筆家。映画や文芸を中心に執筆。著書に『スカトロジー・フルーツ』(天然文庫)、共著に『1990年代論』(河出書房新社)、『心が疲れたときに観る映画』(立東舎)がある。

以前の連載記事は下記のリンクから読むことができます
【第一回】ダンサー・君島かれんの野良知性
【第二回】ゴミ収集員【真弓】の物語(前編)
【第三回】ゴミ収集員【真弓】の物語(後編)
【第四回】【向精神薬】をパステルに包む彼女
【第五回】【解離症】の中で得た金と薬と3人の神

最終更新:2019/04/13 20:00
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