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『灘校物語』出版記念特別コラム

金もうけのためにマスコミに身内を殺され、自己責任扱いされる日本人

桜の会も園遊会も招待客の基準は曖昧なのに、選ばれたものは選民意識

 ここしばらくの天皇陛下の即位にまつわる儀式でも感じることだが、この手の儀式の招待客がどういう基準で選ばれるのかが曖昧なのに、選ばれたものは選民意識をもつことは確かだ。

 私自身も恥ずかしながら10年前はそうだった。

 芸能人であれ、スポーツ選手であれ、作家であれ、それに呼ばれた人間は一流だと思うだろうし、人によっては、選ばれなかった人間に勝ったとか、そいつらのほうを下に見ることだろう。

 選ばれなかった人間にしても、私のように僻みっぽい人間は、自分はどうせ二流と感じるかもしれない。

 こういう形で、選ばれたものとそうでないものを分断するのは、どうしても好きになれない。

 園遊会もそうだが、おそらく官僚に気に入られた人間とか、政権与党に気に入られた人間が選ばれるのだろう。

 共産党やN国の議員が選ばれるとは思えない。

 スポーツや文化に功績があった人というのも、世界記録を出したとか、金メダルを取ったとか、わかりやすい基準があればいいが、そういう人でない人も選ばれている。

 ある程度、基準を明確にして、残りについては、たとえば財界人などは、誰を呼ぶかの基準が曖昧なら、いっそ高額納税者を上から1000人呼ぶとかしてはどうなのだろうか?

 明らかに国に貢献しているし、それをすれば脱税していた人が呼ばれたいばかりに経費を計上しなくても、自分の所得を多めに申告するようになるかもしれない。

 兆単位の税収増になることはあり得るし、これなら多少そういう会に金をかけても誰も文句を言わない。

 この手の皇室とか首相主催の集まりというのに呼ばれた人間は、より天皇陛下や首相のことを好きになることは間違いない。

 会ってみたら嫌なヤツとは思われない程度には儀礼を尽くすから感激する人のほうが普通だろう。

 陛下に関してはそれでいいのかもしれないが、首相が支持者を増やすために国の金を使うのは、やはり好きになれない。

 まだブッチホン(内閣総理大臣だった小渕恵三が著名人にかけた電話のこと。小渕の「渕」のテレフォンをかけ合わせた造語)のほうがましだ。

 さて、セキュリティの甘さの話に戻るが、実際、日本の警察はテロなど起こるものではないと思っているから、首相がそばに来るような会でろくに荷物の検査をやらないのだろう。

 ならば、今回の即位にまつわる行事での大げさな警備はなんだったのだろうか?

 今回は、見えるところは私服で警備をしていたようだが、交通規制では制服を着た警察官が一般市民を蹴散らすようにやっていた。

 大した警備をしなくても、テロなど起こらないのがわかっていて、自分たちが「やっています」と見えるために警備をしているなら市民には大きな迷惑だし、渋滞を作ることは地球環境に悪い。

 あるいは、警察には逆らえないぞというのを示すための行事ならなお性質が悪い。

 桜を見る会のようにすなおに市民を信用して、鍛えられたSPだけで警備をするほうが、よほどすなおに祝福できる。

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