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SMAPと「お別れ」ができなかった私たちへ──僧侶が仏教的視座で考える「卒業コンサート」の重要性

 ジャニーズではSMAP解散以降、グループの解散や脱退が後を絶たない。そこに残されたファンは、悲しみややり場のない虚脱感からどうやって抜け出せばいいのか。僧侶であり、文筆家の稲田ズイキ氏に卒業コンサート=セレモニーについて説法をお願いした。

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あまりにあっけなかったSMAPの解散

 メールボックスに、ただならぬ香りのするメールが届いていた。

件名:「推しとお別れができないアイドルオタクを仏教で解きほぐす記事執筆のご相談」

 デジャブである。以前とある編集者さんから、 King & Princeの岩橋玄樹さんの脱退にちなんで、悲しみにくれるアイドルオタクを仏教で解きほぐす記事の執筆依頼を受けたことがある。文面から醸し出す独特の切迫感には覚えがあった。

 送り主はやっぱり以前と同じ、サイゾーというメディアの編集者Tさんだった。しかし、僧侶でありながらアイドルオタクの端くれである自分としては、やっぱり見過ごすことができない件名なのである。

 メールの本文には、こう書かれてあった。

「マルがつけられないと、どうしてこんなに思いというのを引きずってしまうのかなと、つくづく感じています。ファンとして、SMAPがいまだに惜しくて、そんなことを思ってもしょうがないのだけれど、最後にコンサートがあれば……と考えてしまいます。それはキンプリの岩橋くんの件も然りで……。この気持ちも煩悩なのでしょうか?」

 またしても、手負いのジャニオタだった。いや、前回処置した傷も癒えぬまま、過去の傷を掘り起こし、なおいっそう手負いになって舞い戻ってきている。

 心配で、とにかく一度お話聞かせてくださいと申し出ると、オンラインでの会話の中で、Tさんはこのように語っていた。

「ジャニーズは終わり方が下手すぎる! 嵐の最後は華々しかったですが、ああいうのは稀なケースで……ジャニーズの退所って、唐突で、あっけないものが多いんです。SMAPも少年隊も、あんなに質素な終わり方で……。Jr.の頃から何十年も応援し続けているファンもいるのに、さよならも言えないまま、永遠の別れが突然来るなんて、そんなの寂しすぎませんか。大切な思い出のはずなのに、ちゃんと終えられていないからか、振り返ることもできなくて……」

 語尾に近づくにつれ、か細くなっていくTさんの言葉を聞くたびに、心が痛んだ。以前お話しくださった言葉の通り、「私の人生のすべては、アイドルを推すこと」だったのならば、推しとの最期を一緒に迎えられなかったのは、どれほど悔しかったことだろうか。

 僕自身、当時小4の頃からガチ恋していた加護亜依さんが、スキャンダルに揉まれ、別れを告げる機会もないままに芸能界を去っていってしまったときの気持ちをいまだに思い出してしまう。居なくなったことを受け止める。推しなき現実を生きる。たったそれだけのことと思う人もいるかもしれないが、これほど難しいことはない。

 あの頃の自分は、成仏したくても成仏できず、ここではないどこかを彷徨い続けている、いわゆる「亡霊オタク」だった。アイドルは永遠ではない。そんなことは頭では分かっていて。だからこそ、ちゃんと“終わらせて”ほしかったのだ。

 未だ成仏できない亡霊を心に住まわせる一アイドルオタクとして、 そして一人の僧侶として、 この原稿をお返事代わりに執筆させていただこうと思う。

卒コンは葬式である

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 そう長くもないオタク人生で、数多くのアイドルの卒業コンサートを経験してきた。その際にいつも感じるのは「卒コンは葬式」ということだ。

 伝統的な儀式は、最近だと煙たがられることも少なくない。でも、人類にとって不可避の問題である「いつか死ぬ」ということ、その喪失の悲しみを乗り越えるために、葬式が果たしている役割は大きいと思っている。葬式は逝く者のためだけではなく、残された者のためにもあるのだ。

 身近な存在に死が訪れたとき、辛い、寂しい、という感情よりも先にあるのが、“バグ”である。目の前の死ほど、読み込みに時間がかかるものはない。

「死んだはずがない」
「まだ生きている」

 そうやって、現実から逃避するのも無理はない。それほど「居なくなった」という事実だけは簡単に飲み込めるものではないからだ。

 こうした喪失の現実を、ほんの少しでも無理なく受け止めるために、葬式という儀式があると僕は思う。言うならば、葬式とは、終わりのないバグ感情の中で、“非日常”を意図的に作り出し、ひとときのピリオドを打つことで、心を整える儀式である。簡単に言えば、「節目」を作る場だ。

 もちろん、その場では気が気じゃなく、死の実感なんて抱けないこともあるだろう。それでも、朧げな記憶の中に「葬式を行った」という事実が残るだけで、いつか現実に戻って来られる目印になる。

 こうしたプロセスを経て、人は“居なくなった”ことを受け止められる。葬式とは故人が安心してあの世へ行けるように「見送る場」であるのと同時に、残された者が故人なき現実を生きていけるように「見送られる場」でもあるのだ。「送り、送られる」それが葬式なのだと僕は思う。

 こうした葬式と同じ意義をもった儀式が、オタクの現場でも行われている。そう、卒業コンサートだ。だからこそ、卒コンは絶対に欠かしてはならない儀式なのだと、一人の僧侶として言わせてもらいたい。なぜならば、卒コンとは、引退していく推しをオタクが見送っている場のように見えて、実はオタクたちが推しによって見送られている場だからだ。

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