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『ボクらの時代』稲川淳二の「怪談」の意外なルーツ 「小学1年の頃は女に不自由しなかった」

フジテレビ総合エンタメメディア「フジテレビュー!!」公式Twitterより

 8月15日放送の『ボクらの時代』(フジテレビ系)に稲川淳二、テリー伊藤、笑福亭鶴光の3人が出演した。

 稲川といえば「怪談家」として知られるが、元々はお笑いタレントで、リアクション芸がウリのひとつだった。稲川と鶴光はかつて、演出家・テレビディレクターであるテリーが手がけたテレビ番組で「えらい目に遭わされた」という関係性なのだ。

 30年以上の付き合いという3人の話題はまず、稲川のタレント時代の話に。テリーは「稲川さんは、常に期待に応えてましたね」「稲川さんのリアクションはとびきりだった」と振り返り、「(自分たちが考えた企画を)稲川さんがやると、『あ、こういうふうに面白くしてくれるんだ』っていう。僕らの想像を超えてました」とコメント。これに鶴光が、「この方(稲川)はね、自分で『面白くしよう』って気持ちは全然ないのよ。一生懸命、必死にやってる。だから共感を得んのよ。ギャグでやってない」と説明すると、稲川は「やる以上は負けちゃいけない」と真剣に番組に向き合っていたと語った。

 テリーが日本テレビを出禁になったなどの昔話や、コンプライアンスといった現在のテレビ事情についても話されたが、今回の主役はやはり稲川だろう。番組中盤からは、55歳の時に「タレント業を辞め」怪談家に専念したという稲川と、怪談にまつわるトークが中心となった。

 小学1~2年生の頃から担任に求められ、たびたび教室で怪談を披露していたという稲川。それに他のふたりが「すごいねそれは」と驚くと、稲川は「うちの母親が怪談うまかったんだ」と意外なルーツを明かした。母親は子どもを寝かしつける際に「これね、私が子どもの頃に本当にあった話なんだよ……」と言って怪談を話していたという。稲川の弟は母親の怪談を怖がって寝つけなかったそうだが、稲川は面白がっていたのだとか。

 そこからは稲川の独壇場。工業デザイナーの顔も持つ稲川は、子どもの頃から絵が得意だったそうで、「小学校3年の時に学校代表で国連のポスター描きに行ったぐらい」とのことだが、「これはね、ちょっとした自慢なんだけどね」と前置いた上で、「絵が上手くて怪談ができると、女の子にすごい人気が出るんですよ」「小学校1年の頃ね、女に不自由しなかった。ブイブイいわしてた」と豪語し、鶴光を笑わせた。

 さらにテリーが「そういった霊の話すると、霊感って強くなったりするもの?」と質問すると、今度は「実話」を披露。自身が監督・脚本を務めた映像作品に、テリーも鶴光も知っている「男前」の俳優をキャスティングしようとした際、その俳優のマネジャーに連絡したものの、「きっと稲川さんに迷惑がかかると思うんで」という理由で断られた。その後、茨城にある「工房」(稲川の作業場)で原稿を書いていた際、深夜1時にチャイムがしつこく鳴り、応対しようとしたものの、ドアの外には誰もいない。翌朝、スタッフからチャイムは壊れていて鳴らないことを知らされた稲川。そこに、キャスティングしようとしていた俳優が自死したとの報が届く。亡くなったのは奇しくも、稲川が原稿の中でキャラクターが同じように死んでしまうシーンを書いていた頃、あのチャイムが鳴らされた深夜1時のことだった……という話だった。

 実はこれは「3月の工房」という稲川のレパートリーのひとつ。“隙あらば自分語り”ならぬ、隙あらば怪談トーク。その後も、「女の幽霊」の胸を触ったことが原因で指の裂傷が治らないという話で笑わせるなど、巧みな話術でテリーと鶴光を、そして視聴者を楽しませてくれた。

 70代の3人は最後に「老後の不安はあるか?」というテーマで話していたが、稲川は「さしあたってはないですかねぇ」と答え、鶴光は91歳で現役を続けている師匠(三遊亭金馬)の姿を見て「まだやれる」と感じると回答。テリーは「北朝鮮からキャバクラまで」をコンセプトに面白いことをどんどん発信していきたいと今後の展望を語り、さらに稲川に「今でもワニに巻きつかれてほしい」と、バラエティ再挑戦を直訴していた。「それは無理だ」と苦笑いで断っていた稲川だが、いつか実現する日は来るだろうか。かくしゃくとした彼らを見ていると、ついつい期待したくなってしまう、そんな回だった。

宇原翼(ライター)

雑誌、ウェブメディアの編集を経て、現在はエンタメ系ライター。

うはらつばさ

最終更新:2021/09/18 22:15
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