日刊サイゾー トップ > エンタメ  > 「最澄vs.徳一」から現代人が学ぶべき“マナー”

今注目される仏教大論争「最澄vs.徳一」議論が成立しない現代人が学ぶべき“マナー”とは?

仏教界にあった議論のプラットフォーム

──最澄と徳一の話に戻しますが、仏教界において違う考えの人間同士が議論するための作法があって、それに則って対話していたというのは面白いですね。

師 平安時代から続いている仏教は「因明」と「内明(ないみょう)」の2本柱でやっていました。内明は「法華経にはこう書いてある」「法相宗の教えではこう言われている」といった教義のことです。それに対して「因明」は古代インド由来の論争の仕方で、これが宗派を問わず必修科目のようになっていた。例えば、「論争相手が認めていない概念、知らない単語を使うのはダメだ」とかね。つまり、自分の信じている教義を一方的に言えればいいというものではなく、議論においてどんなことをすべきなのか、あるいはしてはいけないのかを踏まえて話ができなければならなかった。最澄たちのような平安時代の人たちだけでなく、いわゆる鎌倉時代のお坊さんも、みんな因明の用語を使いながら自分の正当性を主張しています。

 ですから、いろんな信仰を持っている人たちが、それでも一緒に議論をしていくためのプラットフォーム、土台として因明が緩く共有されていた時代が鎌倉時代くらいまではあった。教義の内容についてのみならず、論証方法に限って議論することも日本仏教にはありました。そういう意味で、この論争は「宗教なんか関係ない」と思っている現代の人たちにも関係がある話だと思っています。

──最澄と徳一の話は噛み合っていたんでしょうか?

師 最澄は相手が言ったことをいちいちすべて引用して批判を加えていくというスタイル、相手の言っていることを引き受けて、すべて潰していくというスタイルですから、今の国会答弁で散見されるような、聞かれてもいない明後日のことを答える、はぐらかすといった態度は全然見られません。

──『最澄と徳一』によると、最澄は「釈迦からインド・中国の論師を経て自分にまで連なっているんだぞ」とアピールし、徳一に対してお前はどんな系譜なのか文書で示せと言ったりと、マウンティングしまくりで性格悪いな、と感じましたが……(笑)。

師 因明は議論のプラットフォームだと言いましたが、その中でも最澄と徳一では相手をどう納得させるかの手法が違うんですね。最澄はある意味、権威主義的です。「俺は中国に行って、インドから来た中国人の先生に学んだというバックグラウンドがあるんだぞ」と。今の我々も例えば、新聞広告を見て「医学博士の○○推薦」と書いてあったら「効果があるんだろうな」と納得しますよね。社会的にエスタブリッシュされたものを受け入れる傾向がある。最澄は「徳一、お前は認めていないかもしれないが、これは中国では認められているんだ」と言う論法を多用する。

 ただ、最澄が権威を笠に着ていただけかというと、そうではない。徳一は古代の人らしく、最澄の言い分にしても経典からにしても、わりと緩くダイジェストで引用しながら自分の主張を展開するんですね。ところが最澄は、いちいち経文を参照して「お前の言うことはどこにも書いていない。何を見ているのだ」と返す。雑な引用を許さない生真面目さがある。ですから性格が悪かったのではなく、ひたすら純粋だったのかもしれない。

 それに対して徳一は、今で言う帰納法的な論理を用いています。「カラスを見た人がいる」「目撃されたカラスは今のところみんな黒い」「だからカラスは黒い」「ただし、白いカラスが出てきたら、それまでの真理は更新される」という発想です。まだお互い認め合っていない議論に対しては、まずお互いに理解しているところから話を積み重ねていけば、その先に言いたいことが言えるだろう、と。

 こういうところに私は関心があるわけです。因明や仏教の論争の研究を通じて、私たちが日常的に体感して「わかる」「納得する」のはなぜなのか、なぜ「この話は正しいな」と直感するのか、その前提や手順が見えてくるのがおもしろい。

──今で言うクリティカルシンキングみたいなものでしょうか。因明自体についての本も読みたいですね。

師 因明は奈良時代に日本に伝わってから明治時代まで日本人が学んできた論理学ですが、明治の終わりから急速に学ばれなくなってしまった。ですから、私にも師匠がおらず、大正時代に書かれた本で独学しています。

 実は明治時代、国会開設の詔(みことのり)が出たときに因明学者は「身分制度がなくなって公論が盛んになるこの時代にこそ、因明が使えるんだ」と言って活動し、大隈重信などにも講義していました。しかし、国家レベルで採用されることはなく、民間でも普及しませんでした。「日本人は論争が苦手だ」「論理的にものを考えるのが苦手だ」「日本語は論理的な思考に向いてない」などとしばしば言われますが、そんなことはありません。明治までのお坊さんは修行の体系に組み込まれて、めちゃくちゃ論理学の勉強をしています。私は研究者向けの因明入門講座はすでにやっているんですけれども、この知的伝統については、どこか一般向けの媒体で書かせてもらえたらなと思っています。


師茂樹(もろ・しげき)

1972年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、東洋大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文化交渉学、関西大学)。現在、花園大学文学部教授。著書に『論理と歴史 東アジア仏教論理学の形成と展開』(ナカニシヤ出版)、『「大乗五蘊論」を読む』(春秋社)など。

マーケティング的視点と批評的観点からウェブカルチャーや出版産業、子どもの本について取材&調査して解説・分析。単著『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの?』(星海社新書)、『ウェブ小説の衝撃』(筑摩書房)など。「Yahoo!個人」「リアルサウンドブック」「現代ビジネス」「新文化」などに寄稿。単行本の聞き書き構成やコンサル業も。

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最終更新:2021/11/30 10:43
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