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渋沢栄一が女性に見せた二つの顔――晩年も愛人を囲う一方で女子教育の普及に尽力

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

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吉沢亮演じる渋沢栄一と大島優子演じる渋沢兼子(ドラマ公式Twitterより)

 登場人物が次々と他界していく最近の『青天を衝け』。先週の放送ではついに徳川慶喜、渋沢喜作まで亡くなりました。慶喜の演技が当たり役として話題になった草彅剛さんはもちろん、老境の喜作をひょうひょうと演じた高良健吾さんの佇まいに筆者は見入ってしまいましたね。しかしこのドラマでは、登場人物がやけにきれいな笑顔を見せるようになるのが“死亡フラグ”で、「お別れはもうすぐ」というのがわかるので、なんだか余計に切ない気分になります。

 次回はいよいよ最終回ですが、予告編を見るだけでもトピックがてんこ盛りでした。最晩年まで活躍しつづけた渋沢を描きながらも、この1年間の『青天』のストーリーを振り返る映像が織り込まれるような形式になるのでしょうか。

 渋沢は、「イタリーの骨相学者」に「百七つ」まで生きると宣言されたことがあるそうです。

 骨相学とは、19世紀~20世紀初頭くらいまでの欧米で盛んだった一種の疑似科学で、顔つきや頭蓋骨の形状からその人のさまざまな資質や未来までわかるとしました。当時はかなり浸透していた考えで、フランスの文豪オノレ・ド・バルザックなども登場人物の外見に骨相学の知見を応用したことで知られます。「賢い人ほど脳が巨大」といった素朴な発想が骨相学の中心で、夏目漱石やアルバート・アインシュタインの脳が遺体から取り出されてしまったのも、広い意味で骨相学の影響といえるでしょうね(ちなみに現代では頭の良さと脳の大きさには比例関係はないとされています)。

 渋沢がどの程度、骨相学を信じていたかはわかりませんが、その時は107歳まで生きると聞いて「ニコニコ」していたそうです(渋沢秀雄『我が父 渋沢栄一』実業之日本社)。

 実際に渋沢が亡くなったのは昭和6年(1931年)のこと。満91歳という、当時としてはかなりの長寿でした。晩年まで壮健で、社会事業などの第一線で活動しつづけた労をねぎらうべく、渋沢は昭和天皇から晩餐会に招かれたことまでありました。

 ただ、先月99歳で亡くなった作家の瀬戸内寂聴さんが「夢に出てくるのはみんな亡くなった人ばかり」と悲しそうに言っているのを番組かエッセイで見たことがあるのですが、渋沢も瀬戸内さんのように、本音では親しい人々に先立たれていく寂しさの中で晩年を過ごしていたのかもしれません。

打ちとけた友人のいなかった渋沢が言う「友人」は二号さん

 前回の放送で印象に残ったのは、妻の兼子(大島優子さん)が、外出しようとする渋沢に「どちらに行かれるんですか」と訊くシーンです。渋沢は「仕事はやめることはできても、人間としての務めは終生やめることはできないからね」とスラスラと答えていましたが、このセリフを聞きながら、筆者は「“人間としての務め”ねぇ。愛人に生活費を与えに行かなきゃって意味かな。うまいこと言うなぁ~」などと思っていましたが、本当に社会事業のための外出だったようなので、拍子抜けしてしまいました(笑)。

 明治42年(1909年)、数え年で70歳となった渋沢は、実業家を引退して社会事業に熱心に取り組むようになります。一方で、「七十七、八歳」(77~78歳)の渋沢が別宅に囲った愛人のところに通っていると一高生(=現在の東京大学の教養学部の前身)たちの間で噂になったことがあるそうで、彼らは、妾の家の前で渋沢が来るのを待ちかまえて冷やかしてやろうというイタズラを計画していたようです。

 世間では人徳者として知られる渋沢が、80代を目の前にしてもいまだに多数の愛人を囲っていることに納得できないと当時の若者たちは感じたようですね。これは、渋沢の伝記小説『激流 渋沢栄一の若き日』(朝日新聞出版)を渋沢家の財団から委嘱されて書いたことでも知られる大佛次郎(おさらぎ・じろう)が語っているエピソードです。

 一高生のイタズラ計画は幸いにして実行されなかったそうですが、彼らが噂していた内容は事実だったと思われます。渋沢の息子・秀雄の証言によると、実業界を引退した頃も渋沢は日記に「帰途一友人ヲ問ヒ、十一時半帰宿ス」などと書いており、「友人」(=愛人)のために遅くに帰る生活を送っていたようですから。

 当然ながら、引退前の女性関係はさらに激しいものでした。70歳になる前の渋沢は、日本橋・兜町にあった事務所で、現役の実業家として息子たちと一緒に毎日働いていましたが、ここにも「友人」絡みのエピソードがあります。秀雄の兄・正雄の証言によると、渋沢の自動車に自分も乗せて帰らせて、と頼んだ時の返事の解釈に家族の“暗黙のルール”があったそうで、渋沢が“ああ”と返事した時はOKのサイン。しかし、“うん?”という「アイマイな返事のときは即座に引きさがらねばならない」というから笑えてしまいます。というのも、渋沢が“うん?”と返事した時は、「自動車が本郷四丁目の角を左へまがる晩」で、「(渋沢の当時の)一友人が本郷真砂町周辺に住んでいた」……つまり愛人に会いに行く日だったからです。

 秀雄の回想録『我が父 渋沢栄一』では、面白い分析がされています。宴会帰りなどに「『おい、きたぞ』と立ち寄るような、打ちとけた(男性の)友人を持っていなかった父の『一友人』は、二号さんなのである」とのことで、ドラマでは親友を各方面にたくさん持っているように描かれた渋沢も、史実では顔は広いが、そこまで親しい付き合いのある男友達は少なかった。もしくは渋沢が高齢に達した頃には、気の置けない親友は鬼籍に入ってしまっていたということなのかもしれません。

 渋沢が好んだ『論語』にもあるように「君子の交わりは淡きこと水の如し」……有徳者の交流は水のように淡白だ、という教えを実践していたという声もあるでしょうが、高齢になればなるほど渋沢は癒しがたい孤独を感じ、それを自分の娘のような年齢の女性たちに甘えることで解消していたのではないかと筆者には思えてならないのです。

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