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『鎌倉殿』の「ラスボス」後鳥羽上皇は文武に優れ、体力自慢の“超人”だった?

政務を放り投げてまで蹴鞠に没頭した頼家

『鎌倉殿』の「ラスボス」後鳥羽上皇は文武に優れ、体力自慢の“超人”だった?の画像2
北条泰時(坂口健太郎)と北条時房(瀬戸康史)|ドラマ公式サイトより

 とはいえ後鳥羽上皇は、承久の乱までは鎌倉幕府との交流を絶やしませんでした。和歌や蹴鞠に対して源頼家、実朝といった歴代の「鎌倉殿」が強い興味を示し、それに応えてやったという側面もあります。

 ドラマでも描かれていましたが、頼家は蹴鞠を愛好したことで知られました。第27回では、頼家(金子大地さん)の最側近のグループにも入れられていた北条時連、後の時房(瀬戸康史さん)が、蹴鞠で意外な才能を発揮し、頼家に気に入られるというシーンがありましたが、史実でも頼家側近の蹴鞠グループが鎌倉で作られました。『吾妻鏡』に蹴鞠関係の記事が多いのは、蹴鞠が当時、鎌倉方の武士たちの文化度の高さをアピールできるものとして考えられていたからかもしれません。

 しかし、頼家の蹴鞠への没頭ぶりは少々異常なほどでした。建仁元年(1201年)7月6日、蹴鞠の奥義を習得したいと思った頼家は、後鳥羽上皇に蹴鞠の達人を派遣してほしいと依頼しています。上皇は頼家の願いを快諾し、行景という達人と、何人かの公家たちを送りました。彼らが到着した9月初旬以降、頼家は「此間抛政務」……政務を放り投げてまで蹴鞠に没頭するようになりました。こうした背景から、上皇が鎌倉を京都の文化で乗っ取ろうと目論んでいたとも考えられます。

 蹴鞠と宮中文化の歴史にも軽く触れておきましょう。蹴鞠は平安時代から宮中でも盛んに行われていましたが、公の場で最初に蹴鞠をした記録を残しているのは、保元3年(1158年)正月の後白河天皇でした。当時の天皇には「直接、地面を踏んではならない」という掟があり、この時は地面に筵を敷き、天皇が地面を踏まないように対応したそうです。ドラマの後鳥羽上皇は地面に立っていたじゃないかと思われるかもしれませんが、彼は天皇位を幼い息子に譲り、上皇になっているため、地面をわが足で踏みしめる“自由”も獲得できているのですね。

 後鳥羽上皇の時代には、今日にまで受け継がれている蹴鞠のルールの多くが決まりました。文化的な背景については、すでに公式サイトで『鎌倉殿』の蹴鞠指導を担当している山本隆史さんによる解説がありますので、興味がある方はそちらもご覧ください(教えて! 蹴鞠指導・山本隆史さん~みんなの蹴鞠~

 蹴鞠はサッカーの先祖のように語られたりしますが、得点で順位が決まったり、個人の技能も重視される一般的なスポーツとは異なり、先述の山本さんがおっしゃっているように「みんなで一緒に楽しく続ける球技」だったことは覚えておきましょう。

 ドラマでは、後白河法皇の元・近臣で、京都から鎌倉に流れてきた平知康(矢柴俊博さん)が直垂(ひたたれ)を着用し、「最も大事なのは顔持ちでございます」と、にこやかな表情を保つことが大事というふうに頼家の近臣たちに指導しているシーンがありましたよね。この時代、蹴鞠を行うときの装束にも、身分やステイタスで大きく違いがありました。

 『鎌倉殿』の後鳥羽上皇は直衣(のうし)に烏帽子、指貫(さしぬき)と呼ばれるタイプの袴という、伝統的な蹴鞠時の上皇・皇族の装いを踏襲しているようですが、史実の後鳥羽上皇は、動きやすさを最重要視し、蹴鞠を行う時には当時の武家の装束……ドラマでは鎌倉の武士たちの装束である直垂、葛袴や狩袴を着用した上で蹴鞠を好んだようですね。これは当時では「例外」的な装いだったそうですが、いつしか後鳥羽上皇の装いを真似る宮廷人が増加し、今では(蹴)鞠装束といえば、直垂に葛袴、狩袴という鎌倉時代の武家の装いがベースとなっています。これは、まさに「実力者が伝統を作る」ということなのでしょう。

 さて、次回第28回「名刀の主」は梶原景時の退場回となりそうなので、最後にこれについても軽く補足しておきます。

 前回のドラマでは、和田義盛(横田栄司さん)と景時(中村獅童さん)が頼家の御前で役職をめぐって言い争っているシーンがありましたが、あれは御家人たちと梶原の関係が悪化していることの前フリだったと考えられるでしょう。次回予告映像には、三浦義村(山本耕史さん)が準備した連判状と思しき書状を北条義時が「多すぎる!」と突き返すシーンや、景時が「恥じ入るところはただの一点もござらぬ」と弁明を辞退するシーンが出てきたので、おそらくは前回のコラムでも触れたとおり、景時の退場は『吾妻鏡』の記述をベースに描かれていくのではないかな、と思われます。

 『吾妻鏡』では、景時は結城朝光を讒言したことで御家人仲間の反感を買い、鎌倉から追放されたとまとめられているのですが、一方で京都の公家・九条兼実の日記『玉葉』では、頼家を見限った御家人たちの間で、幼少の千幡(のちの実朝)を新しい鎌倉殿として立てる計画があると景時が報告したことで、景時はその当事者たちに報復されたようだとする、まったく逆の情報もあります(正治2年正月2日条)。結城朝光がドラマに登場したため、『玉葉』の説は描かれないとは思いますが、史実では景時の失脚とその死に、複雑な政治的陰謀が絡んでいた可能性は高いでしょう。『鎌倉殿』でもついに、登場人物同士の仁義なきバトルロイヤルが勃発していきそうです。

<過去記事はコチラ>

堀江宏樹(作家/歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『隠されていた不都合な世界史』(三笠書房)。

Twitter:@horiehiroki

ほりえひろき

最終更新:2023/02/21 12:30
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